2010-05-31

『オレはロイヤルスケベ』46発目

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 視聴覚メディアは近現代史における国家統合再編に資し得る道具の一つ。
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theme : 自作漫画
genre : アニメ・コミック

2010-05-30

イギリス砲艦外交の行方

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 砲艦外交を正当化するわけではないですが、だからと言って侵略であると批判して思考停止するのもどうかと思うのです。
 軍隊を維持し動かすと言うのはとんでもなく金がかかることであり、それだけのことをしないといけなかった理由が有る筈なのです。
 肝心なのは、武力行動を起こすに至った背景を理性的に考察することと、それを批判する倫理観をバランス良く保つことだと思います。

theme : 歴史
genre : 学問・文化・芸術

2010-05-30

ハードランディングでないと納得出来ない世論

01_僕らの01


 いよいよ光緒帝の改革が始まった『蒼穹の昴』。
 とにかく詔書を濫発し、制度の変革を目指す。
 その内容自体には間違いは無い。中央集権化も国会開設も高等文官採用試験改訂も、いずれも正しい。
 しかし正しければなんでも即時にやれば良いと言う物ではない。
 制度を変えたからと言って、全てがそれに応じて変化出来るのであれば、中央集権化も立憲制も新しく設ける必要は無い。中央の出した政策が地方に徹底されず、また出した政策に従わない場合に法に照らして罰せられないからこそ、近代化のミソである中央集権化と立憲制確立を達成せにゃいかん。
 この二点を抑え、中央の出す政策が確実に実施されるようにしてから、立法機関としての国会を開設したり、高等文官採用試験の中身を見直したりすべきなのだ。
 やや概念じみている話なので解り難いと思う。その場合は、少し事情が違うが開発独裁体制を想起して頂きたい。工業化を進めようとしても既存の有力者が抵抗する場合、独裁者の強いリーダーシップの下に有無を言わさず計画経済を行わないとどうにもならん時が有る。あれと似ている。先ずは中央の言うことが確実に実行されるようにするのが先決なのだ。
 もちろん、近代国家でも中央の政策が間違っていると思えば反論すべきだ。ただし、反論した上で中央がそれを容れなかったとしても、中央に従わねばならない。それが嫌なら中央と言えども従わねばならない法律を変えるのが筋である。だからこそ、立法機関たる国会には、中央以外の利益の代弁者が入る余地が無ければいけない。
 んで。
 光緒帝の政策がハードランディングであるのは、まさにこの点によるのじゃよ。
 中央集権化も立憲制の確立もせずに、いきなり国会を開設して何の意味があるのか。
 それでもハードランディングせにゃいかんかったのは、単に光緒帝が理想主義的であっただけでなく、世論が目に見える形での変革を求めていたことも大きいと思う。なんかこんなハードランディングの失敗を何年か前に凄く身近なところで見た気がするな。
 それはともかく、政治的発言力を高める手っ取り早い方策は、やはり、武力を得ることだ。
 そこで北洋軍閥の領袖である袁世凱の出番となるわけだが、それは次回にて。
 さあて、ますます面白くなって参りました!!
「麻雀をする西太后が可愛かったですね、プロデューサー」
 実際、西太后の本性って、あんな感じの楽しいことだけしていたいお嬢様じゃないかと思うんだ。

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genre : アニメ・コミック

2010-05-28

タイトル、カマーン。

前奏38


 タイトルでございます。
 前作に対するご意見で、従前と雰囲気が違う、みたいなのを頂戴しましたが、今回も少し新しいことに挑戦してみようかな、と思います。
 とりあえず、今月中にここまで漕ぎ着けられたのはとても良いペースなので、これが続けばありがたいのですじゃよ。

theme : ヲタク人日記
genre : アニメ・コミック

2010-05-26

前近代連合国家TSLG『ユニオニア』後編

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 先ずは京都らしい話を一つ。
 出張の長い夜を快適に過ごすためには三条の古本屋の活用が重要である。
 んで、ある古本屋だが、毎度行く度にTRPG関連の書籍が充実していることに驚く。
 今回は、MAGIUSのスタートブックと『ソード・ワールド』リプレイ「バブリーズ」の現時点で最新のセッションが記録されているもの(書名失念)が転がっているのには驚いた。特に後者は二冊。
 どちらも持っているのだが、正直、わしの知っている店では余り見かけない。特に後者。これが二冊。やっぱTRPG関連の書籍は西の方が流通量が多いのだろうか。


 次にあんまり京都と関係ないバカ話を一つ。
 夢の中で、二坪くらいの広さの円形の風呂に入っていた。
 公衆浴場という設定だったが、入っているのはわしだけだし、周囲には洗い場も何も無く、当然体を洗う人影も同様。
 そしたら、いきなり中学生くらいの黄昏ミミそっくりな三次元ショタが全裸で風呂の縁に現れた。黄昏ミミが誰だか判らない方は判らなくても良いと思う。
 三次元ミミち○こは、その場で敢えてゴールデンマリースポットが見えるように体を広げくねらせつつ風呂に入ってくる。
 夢の中なので、まあ公衆浴場だしな、と至極平静なわし。
 そしたら、風呂にはわししか入っていなかったのに、三次元ミミち○こはわしの隣りに座りやがる。
 さすがに気持ち悪くなって、湯の中を別の場所に移動する。
 そしたらまた隣りに来やがる。
 こりゃあかん、と思ったところで目が覚めた。
 やっぱり出張先だと色々と溜まるのだろうか。


 さて。
 話の枕のインパクトが強すぎて本題に入るのがちょっと躊躇われるが、時間はたっぷりあるので、まあ、ゆっくりやっていくことにする。
 前回の続きである。
 前回のポイントをまとめると、上掲拙画のようになる。
 内政フェイズは個人で処理できるので、TSLGと言うよりはMAGIUSのソロプレイに近い。これによって作られたデータを基に、TSLG性の強い外交フェイズを行う。最後の実行フェイズはセッションのシメを飾る戦闘のようなもので、とりあえずこれが無いとしっくり収まらないのがテーブルトークゲームのさだめというものであろう。
 重要なのは外交フェイズで、ここでいかに互いのリスクを協調して分散出来るか、そして適うならば一国が突出して成長するのを防げるかがポイントとなる。
 史実厨的には、こうした理念よりも実利が重んじられる外交の恒常化こそが、新旧教派対立から近代外交に発展する最大の契機であるウェストファリア体制を生み出したものだと考える。
 それはさておき。
 今回は、『ユニオニア』のモデルの三十年戦争でもキーワードであるところの傭兵と宗教改革について考えておきたい。
 先ずは傭兵について。
 傭兵は金さえ払えば人口や武装の多寡に関係なく、いくらでも編成出来る。ただし、部隊が補給線を超えると、自前の部隊だと士気が下がるだけであったが、傭兵の場合はNPCに変更される。
 補給線を伸ばして部隊につなげると、PCに戻る。
 NPCでいる間は当然GMが扱う。行動パターンは「可能な限り戦闘を行わない」。戦争が終了するまでにNPC化した傭兵部隊をPCに戻さないと、統制値が下がる。
 国家がちゃんとした常備軍を持たないといかん感じがして良いと思うがどうか。
 サクサクいこう。次に宗教改革について。
 この世界では宗教によって魔法を使用する。宗派によって使用出来る魔法の系統が異なる。
 宗教改革には二通り有り、宗派を変える場合と、宗教が外交に与える影響力を削減する場合がある。
 宗派を変えると使える魔法の種類が変化するのは前述の通り。
 後者の改革を実行すると、違う宗派の国家とも協調行動が可能となる。ただし魔法の効力は無くなる。
 ・・・・・・。
 今、この後者の改革について色々と書いたところだったが、下手するとアレな人達から「政○と宗○は不可分だ!」とどつかれそうだったので、これ以上踏み込むのはやめておくことにする。
 ああ、でも、現実が見えていない聖職者が民衆を煽動して政権を批判し、政権の側が「やってらんねえなあ、もう」と言いつつ寺社領を与えて黙らせる様と言うのは前近代の「みどころ」ではあるんだよなあ。逆の対策としての比叡山焼き討ち然り。やっぱりしっかりとルールにしておきたいなあ。
 ・・・・・・。
 まあ、やめておこう。
 やはり宗教は深く踏み込むとおっかない。いっそのこと宗教をルールに組み込むのをやめるべきか。
 そんなら魔法も無しではどうか。
 そこまでやるとファンタジーではなくなってしまうだろうか。
 しかし、以前も何かの折に書いたが、わしはファンタジーは好きでも魔法が無い方が好みなのである。
 エルフがいるのもドラゴンがいるのも構わないのだが、魔法が出て来ると、その瞬間、急に人間クサさが無くなる気がしてならん。ここで言う人間クサさとは、エルフではないとか、そう言う種族的なことではない。なんと言いますか、前近代の泥臭い感じである。ここに魔法が登場した途端、物凄く綺麗で上品な「おとぎ話」になってしまうような気がする。
 エルフもドラゴンも非現実性を表すフレーバーとしてとても魅力的なのだが、これらが実際の歴史で使われた武器でがんばって戦うから、泥臭くて面白い。それが、いきなりクロスボウやマスケットよりも長射程かつ命中精度が高く威力の大きな、ようわからんピカピカ光る不思議な力に取って代わられるのだ。そりゃないぜ!
 と、魔法に対する不満について書いてしまったが、恐らく九割近くの方には全くご理解頂けないであろうことは想定内である。


 最後に、なんでこんな妄想をしたのかについて、まとめておきたい。
 前回書いたように、第一には、国家間戦略SLGをテーブルトークゲームにしてみたかったからである。
 第二に、部隊戦闘を遊んでみたいからである。元々SLGが好きなので、個人対個人ではなく、部隊対部隊が見たいのだ。
 この第一と第二の欲求を充たすためには、「内政≒外交≒軍備」である必要が有る。だから三十年戦争なのだ。
 そして第三に、既に多くの方がお気づきかと思うが、「まよキン」をもっとSLGにしたいと言う願望である。
 以前、とある仲間内で「まよキン」をした際に、ある方が「これ。みんなで一国じゃなくて、一人一国に出来ないかな」とおっしゃった。そうなのだ。折角国家を運営出来るのなら、やはり一人一つずつ、好きなように運営してみたいではないか。あと、わし自身、外交好きとしてはやはりどこか物足りなさも覚えていた。ただし「まよキン」が嫌いなわけではない。あれはわしが今まで見てきたシステムの中では最高級の一品である。
 そんなわけで、以上の三つの願いが、今回の出張で生じた長い夜と化学反応を起こし、『ユニオニア』の妄想に至ったわけである。
 面白そうかどうかはともかく、わしがどれだけTSLGをやってみたいか、という熱さえ伝われば幸いなのじゃよ。


 最後に私信。
 以前「まよキン」で一人一国制の導入を求めた方へ。
 今度のお会いする予定ですが、流石に今の状況からすると朝一に行くのは厳しいので、少し遅れます。
 お許しあれかし。
 さて、明日は大変だぞーう。

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genre : アニメ・コミック

2010-05-25

前近代連合国家TSLG『ユニオニア』前篇

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 先ずは前回の訂正。
 80cmの2/3は約53cmでした。失礼しました。イラストを描き直すのはアレなので文章の方で修正しましたので、御寛恕の程を。
 そしてどうも人間、時間を与えるとしょもないことばかり考えてしまうようである。
 現在出張中。外部機関でのことなのでそんなに夜遅くまでけっぱらなくてもよい、と言うかショバを借りているので出来ず、また同行の者達とも「この件は毎度のことながら長丁場だから、五時以降までつるむのは無しで、自由に過ごしてなるべく精神の安定を心がけよう」と言うことになっているため、夜は、結構、ヒマなのじゃよ。
 んで。
 ぼー、っとしている内に、ふと、TRPG好きの血が騒ぎ、一つの妄想が頭に浮かんだ。
 TRPGを戦略シミュレーションに出来ないか。
 マルチプレイの戦略シミュレーションと言ったら国家間抗争モノだ。
 それだとボドゲになっちまう。
 みんながそれなりに協力しつつ、しかし同時に自分の利益を保とうと考えるようなシチュエーションは無いか。
 それは圧倒的な武力・経済力を持つ大国に圧迫される前近代連合国家しか無いだろう。
 そこで思った。
 前近代連合国家をTRPG、否、TSLGに出来ないか、と。
 まあ聞いてくれ。題して『ユニオニア』。

 とある想像上の世界。イメージとしては三十年戦争期のヨーロッパ。宗教による精神の安定・抑圧が少しずつ科学によって破壊・解放されつつある時代。ファンタジー的に言うと剣と黒色火薬が大地を埋め尽くし、魔法の力が衰えつつある時代。
 国家間の関係は極めてルーズなもので、集合離散を繰り返していた。もちろん国家間契約なんてガキの指きりほどの強制力も持たない。これが近代的なものへと変化するのが三十年戦争の終結、即ちウェストファリア体制の確立だが、それはさておき。
 この世界のイストエジア大陸部にはハンザニアと言う王国があり、長いこと大陸を統治していた。
 それからまあ色々あって、ハンザニアの統制力は弱体化。大陸各地の有力諸侯の領土はそれぞれが実質的な独立国となっていた。ただしハンザニア王家自体は残存。その権威は大義名分の出所として未だ有意であった。
 解り易く喩えるなら、戦国期の日本。ハンザニア王家が室町幕府or朝廷で、有力諸侯が大名。
 有力諸侯のハンザニア王家に対する意識は様々で、あくまで王家の家臣たらんとする者もいれば、辺境では王家の血を遠い姻戚関係から継いでいることや、はたまた実力本位で、王を自称する者まであった。
 そんな戦国乱世の最中、北方から圧倒的な武力・経済力を持つ異民族、ドゥッチェが押し寄せてきた。
 ドゥッチェは自分たちを大陸の新たなヘゲモニーであるとして、ドゥチェリア帝国を建国。ハンザニア王国と有力諸侯に降伏を持ちかけた。
 これに対して、無論、ハンザニア王国は反対。一応王家を正統な大陸の統治者とする多くの有力諸侯もこれに従った。
 時のドゥチェリア帝国イストエジア方面軍司令官は第十八番目の帝位継承候補者にして現皇帝の寵愛深き御歳五歳の末っ子。その実権は勇猛にして残酷なとある外戚の副司令官に握られていた。ドゥチェリアとしては、世界の中では辺境に位置するイストエジアなぞ、うるさくなくなりさえすればどうでも良かったのである。
 大陸側の返答に怒り狂った副司令官は皇帝への報告も仰がずに南進を決定。
 かくして、イストエジア全土を巻き込んでの大戦乱の幕が明けたのである!

 ・・・・・・と、色々と厨臭い単語を交ぜつつ妄想してみた。
 次に具体的なゲームとしての性格について、説明する。
 各プレイヤーは、無数の有力諸侯の一人となる。
 この時、プレイヤーの各国家はなるべく国境が接していることにする。でないと面白くないからだ。
 プレイヤーの国家群が大陸のどこに位置しているのかは、オフィシャルマップ(在るものと仮定する)中から任意で選択してよい。ただし、なるべく北方との国境に近いところの方が楽しい。
 プレイヤーは、プレイヤーの分身たる国王と、二人の大臣、そして国家のデータを作成する。
 能力値は、武力、知力、政治力、魅力、行動力の五種類。最後の一つだけどんなもんかよう解らんと思うので補足すると、行動可能な回数である。
 大臣にはこれらのステータスは無い。軍人、懐刀、官僚、煽動家、秘書の五種類から選ぶ。それぞれが国王の能力値に+2の補正となる。あと、大臣は一人につき一つ技能を有し、行動によってはボーナスがつく。たとえば軍人が「電撃作戦」のスキルを持っていると、戦争の際にプレイヤーは必ず先攻となる、とか。この辺は細かく考え出すと止まらなくなるので、この辺で。
 それぞり大臣の種類のイメージは、軍人はそのまんま、懐刀は外交や工作を担当、官僚は内政を担当、煽動家は国王の人気を国内外で高める上で必要、秘書は行動力を強化、といった感じである。
 国王のレベルが上がると、大臣を新たに一人雇用することが出来る。
 国家のステータスがもう少し複雑で、人口、兵士数、武装、財政、文化、統制、権威の七種類からなる。
 人口が基本で、これによって兵士数と財政が決まる。特に財政が決まるのがでかい。
 兵士数は人口の1/10が上限。オプションルールで兵農分離や軍制改革なんかで増えると面白いが、ややこしいな。
 武装は、基本が銃、砲、馬の三種類。それぞれの数に応じて、銃兵、砲兵、騎兵が編成可能。銃兵は敵の士気を一気に下げられる。砲兵は攻城戦で活躍。騎兵は速いだけ。ただし、銃の備蓄と追加料金で堅くて速くて銃攻撃が可能な胸甲騎兵や、速くて補給線(『ユニオニア』ではHEXを用いるのだが、部隊が移動可能な範囲と思いねえ)の延長が可能な竜騎兵が編成可能。この辺もこりだすと止まらないのでほどほどに。
 財政が無いと何も始まらないのは言うまでも無い。
 文化が高いと、全ての数値が少しずつ上がっていく。最初はすずめの涙程度だが、ある一線(技術革新みたいなもん)を超える度に一気に全ての数値を上げる。
 統制は、国内をどれだけまとめられているかを表す。兵士数と国王の魅力によって上下するところが大きい。あんまり低いと反乱が起きる。極めて高くすると国王の行動力がプラスされる。
 権威は国民総数と財政と文化と統制の値を全て足し、そこにハンザニア王家からの信頼(ランダム決定)を加えて算出する。この高低によって、後述する外交フェイズの優先権が決まる。

 随分長いこと書いたが、時間があるので、もう少しゲームの中身について触れる。
 基本はTRPG、と言うかTSLGなので、何をしてもよい。
 シナリオはGMが考えてくる。基本的にはドゥチェリアが何らかのちょっかいを出してくるから、それをどうにかしろ、というパターンだろう。
 ドゥチェリアがちょっかいを出してくるまでのいきさつを説明したら、各国家は内政を行う。財政の数値を消費して、兵士や武装を揃えたり、次の財政収入の増加のために投資したり、文化や統制を上げたりする。これを、内政フェイズと言う。各プレイヤーが国王の行動力の数だけ、2D6判定で行う。判定の具体的な目標値についてはここでは割愛。ぶっちゃけ、内政フェイズはGMがすることはほとんど無い。各プレイヤーが一人で出来るようにしておく。
 TSLGとなるのはここからである。
 ドゥチェリアのちょっかいに対抗するために、プレイヤーの国家群は参集して会議を開く。これが外交フェイズである。開催地は基本的には一番権威値が高い国の首都とする。開催国はこのセッション中だけ権威を+2する。つまり権威が高い国は開催国となることで更に権威が高まるのだ。この時、もし各プレイヤー間で、ドゥチェリアとのより有効な対策等のために違う国での会議の開催が同意されるならば、それをしても良い。
 開催国となったプレイヤーは議長を務める。議長は最終決定権を持つ。また、各プレイヤーに飲み物を注ぎ、乾杯の音頭をとってから会議を開始する。もしGMがハンザニア王国の使節等をNPCとして演じる場合でも同様であり、ハンザニアの使節だからと言って最終決定権を持つわけではない。
 外交フェイズでは、みんなで対策を練る。ただし、これがただの仲良しゲームでは終わらないのが『ユニオニア』のイヤなところである。このゲームでは、基本的にすさまじく金と兵士数と武装と統制を消費する。よって、外交フェイズでは、互いになるべく出費が少なく済むように談合するのが望ましい。この辺は完全にプレイヤーの自由交渉とする。モデル的な解決策は、うちが金を出すからおたくが兵を出して、とか、うちは金があるから貸すので、代わりに騎兵を貸して、とか、互いの不足を補い合うことだろう。尚、一セッションが終了すると各数値は50%の確率で内政フェイズ直後の状態に戻り、25%の確率で成長するので、そこまで損失に神経質にならなくても良い。要は損失を気にする国家元首のロールプレイが楽しいのだ。
 懐刀がいると、外交で約束しただけの自国の出兵数をノーリスクで増加出来たりと、外交フェイズ終了後に色々とありがたいことが起きたり、またはドゥチェリアの侵攻軍の数を減らしたりすることが出来る。
 さて。外交フェイズで一通り対策を講じたら、次は実行フェイズである。
 シナリオによってやることは随分違うだろうが、ここでは一番基本的であろう軍事衝突を例に挙げる。
 物凄く簡単な話で、あとはいつものTRPGの戦闘である。
 唯一の違いは、HPが兵士数で、あと基本100でスタートする士気なる数値が用意されていることだ。どちらかが0になると壊滅する。
 一国がいくつの部隊を率いても良いが、部隊一つの兵士数は一律して100とする。ちなみにゲームでは最初の人口が2000から3000なので、外交フェイズで主力を任された国家ならば2部隊か3部隊が基本である。
 HEX上に拠点を定め、そこから各部隊を動かす。動かせる範囲は財政の数値分で、これが補給線となる。そこを超えると1HEX動くごとに士気が10下がる。士気は拠点に入ったり休憩することで回復。ほら竜騎兵大事。やったーあ。
 ちなみにドゥチェリアには拠点も補給線も無い。どこからでも現れてどこまでも行ける。
 それ以外は、もう、ご想像の通りに相手を罠にはめたり武力ですり潰したりしてくだされ。HEXマップに森林や河川などの地形を描き込んでおくと楽しいだろうけど、大変そうですな。
 ドゥチェリアのちょっかいを退けると、シナリオクリアとなる。前述の通り数値の回復や成長を処理する。下手すると赤字なのはご愛嬌。
 1シナリオごとに人口が1D×100人増える。初期値から1000人増えるたびに国王のレベルが上がり、ステータスの内どれか一つを+1し、大臣を増やすことが出来る。
 そして重要なのが権威の上昇。外交フェイズで消費することが決定した数値の分だけ増える。例えば、財政から3貸し出して、2部隊出撃させていると、+5となる。
 権威が一定値を超えると、ハンザニアに代わる王国を名乗ったりと、大陸全土に影響を与えることが可能になる。更にその上に定められた一定値を超えると、ハンザニアを復興するのか新王朝を樹立するのかは勝手だが大陸を代表する国家になった、ということでゲーム終了。これが中央集権化したら前近代ではなくなってしまい、サブタイトルにそぐわなくなるので。ゲームを終了させた国家が歴史に名を刻むことになる。更に遊びたい場合はオールリセットでどうぞ。
 大体10セッションぐらいでゲーム終了となる。

 どんなもんだろう。
 貿易摩擦とか交通網整備とかを扱うと地味で面白くなさそうだが、NPC隣国がプレイヤーたち同様徒党を組んで侵略して来るとか、ハンザニアの無能な指揮官が強制的に軍事の最終決定権を持ち、毎ターン1部隊をGMが勝手に動かしてしまう、とかやると、いやらしくて良いのではなかろうか。
 他にも傭兵とか、宗教改革とか、国家間の友好度とか、色々書きたいのだけど、良い時間になさったので、とりあえずこの辺で。

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2010-05-24

ある意味出張中でしか書けないことか。

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 現在出張中である。
 まさか出張先で昼日中に何をしているのかを具体的に書くことは出来ないので、とりとめのないことを書く。
 朝、ニュースを見ていたら、今は脱力系アニメがブームなんだと。
 企業や地方自治体なんかも脱力系アニメに着目しているんだと。
 脱力系アニメは制作ソフトの向上によって手軽に制作出来るから期待されているんだと。
 この最後の部分にかなりカチンと来たので、これについて書くことにする。
 しちめんどくさいことを書くので、お付き合い頂ける方には御覚悟願いたい。
 本当なら拙ブログで書くようなことではないのだが、何せ出張先の夜は長い。ある意味こんな時でないといじられないネタなので、やはり書くことにする。
 あと、上掲拙画にもちょっと京都っぽさを入れてみた。

 さて。
 脱力系アニメは制作ソフトの向上により手軽に制作出来るのか。
 番組中では、画数の少ないデフォルメキャラをコピペ等駆使して簡単に動かすことが出来る点をプッシュしていたように見えた。
 冗談じゃねえぞ。
 デフォルメキャラなら簡単で、リアルなら難しいなんて、そんな単純な話があるか。
 もちろん、デフォルメは色んな意味で「逃げ」易い。多少デッサンが崩れていても気にならない。
 ただしそれはイラストの場合で、漫画やアニメでは勝手が違う。
 この点について、以降、①小物や背景との対比、②関節の処理、の二つの問題から論じていくことにする。

 先ずは①である。
 リアルな人間像とは、まあ、八頭身のことだろう。日本版だと六頭身ぐらいが多かったが、最近は七頭身もかなりいるし、何より漫画等は理想的なスタイルを描くことが多いので、やはり八頭身だろう。
 例えば、八頭身で身長160cmのキャラクターが、「ふぇぇ、しょ、初日から遅刻ですぅ~!」とか言いながら食パンを銜えつつ玄関から飛び出した、としよう。
 これを二頭身にしてみる。
 イラストでは何も違和感はない。しかし、登場人物が違う動作をしたり、シーンが変化したりする漫画やアニメだと、ここからが難しくなる。
 先ず、食パンの大きさはどうする。
 基本的には、やや小さめのもので、顔面の1/3ぐらいだろう。
 160cmの設定を守ると、顔は80cm。となると、食パンは26cmだ。なんだそれ。更に食パンを銜えるのでなく食べていくのならどうする。腕の長さが身長の1/3として53cm。腕の半分ほどの大きさのパンを食べるのってどんな画だ。
 また、パン屋を出すとどうなるのだ。食パンの大きさに揃えて他のパンも描かねばならないだろう。となると、この作品ではパン屋は出せないんじゃなかろうか。
 これと同じ理屈で、ギャルゲー系美少女の眼鏡についての議論が著名である。
 あのテのギャルは目がでかい。その大きさに合わせたレンズが描かれている。眼鏡を外してテーブルに置いたとき、レンズの大きさはどうなっているのか。
 話を新撰組隊士の事例に戻す。
 身長160cmの設定を捨てて、八頭身を二頭身にしたということで、身長40cmとしよう。
 となると、160cmの人間が快適に暮らせる天井の高さをとりあえず2mと見た場合、家の高さは44cm、二階を入れると1mとなる。
 このサイズに全てを合わせるのか?じゃあ現実世界を舞台としたならば長距離移動のシーンは描けませんわな。移動時間が単純計算しても四倍はかかるのだから。
 次に②について。
 ハッスルしているラジオ体操第二みたいなポーズをしているキャラクターがいたとする。
 腕の長さをデフォルメサイズのままに、肘を曲げると、腕が短すぎて何をしているのか判り難い。
 そこで、やや強引に腕を伸ばす。すると判り易くなる。
 しかし、肘をまっすくに伸ばし、腕を垂らすと、異常に長いことになっている。
 二頭身キャラは頭上で手を組めないのである。
 さて。
 このように、デフォルメしても全てが楽になるわけではない。
 じゃあデフォルメで漫画やアニメを描く者はどうしているのかと言うと、不自然に思わせないように工夫しているのだ。
 例えば、26cmの食パンを食べても良い。口を大きく開けて一口でパクリ、とか。
 曲げた肘は、伸ばすと腕の長さも変われば良いのである。羽織等であれば肘の辺りがゆったりしているので関節の無理な伸び縮みもばれ難い。
 または、逆説的に、矛盾をギャグにする方法もある。パンならば腕とのアンバランスさを敢えて強調して、ハムスターがエサを食すが如くちまちまと齧らせるのも手だろう。肘は、腕が伸び縮みする様を敢えて強調して描くと、軟体動物のようで面白い。ただし、この方法は上手くやらないとギャグではなくただ作画が下手なだけに見えてしまう。
 結論すると、リアルなイラスト、漫画、アニメを描くのはとても難しいことだが、デフォルメも、そこに生じる様々な矛盾を如何に自然なものにするか、と言う点でなかなか厳しいものがあるのだ。
 制作ソフトさえ整えば、デフォルメキャラでアニメを制作するのが簡単だなんて、戯言じゃい。リアルより難しいともリアルより簡単とも言わないが、少なくとも「これならリアルにアニメを制作するより安上がりだ」と言うのは妙な話だと思う。
「じゃあ、プロデューサーは、それが出来るんですか?」
 ここまで書いたからには、それにも触れねばなるまい。
 はっきり言って、わしは、矛盾が生じたら「なあなあ」にしている。
 例えば、そのシーンだけ四頭身くらいにしたり、または矛盾が生じる部分(肘とか)がカメラに入らないようにして描くとか。
 恐らく、漫画にしろアニメにしろ、ご覧頂いている方は「あ、こいつめ」とお気付きになられていることだろう。この部分を激しく突っ込まれないよう、「そう言う作風なんで、あと他のネタでカバーしますんで、ここは一つ、へっへっへ」とするのがわしなのじゃよ。
「えええ・・・・・・」
 うん。わしもそう思うよ。
 あと、たまに矛盾をギャグにする方法も使うが、これが成功しているのかしていないのかは精神衛生の観点から論じないと言う。
「・・・・・・だったらリアルに描いて、一々そんなことしなくても良いようにすればいいんじゃ・・・・・・」
 そっ、そっ、それが出来てりゃ苦労はせんわッ!!
 寝る。

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2010-05-23

ある意味ライブと言いますか生中継と言いますか。

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「おい、美濃、美濃は何れに在る」
 これは大学様、拙者はこちらにござりまする。
「おう、いたか。相変わらずじゃのう」
 はっ。大学様におかれましても、お変わりなく。
「まあよい。本題じゃ。その方、直ちに上洛せよ」
 と申しますと、今年もまた例の件でござりまするか?」
「左様。行ってくれるな?」
 大学様のお引き回しとあらば。されど、拙者の上役はあくまで中務様にて・・・・・・。
「中務殿は先刻ご承知のこと」
 なるほど。
「縦割りのきつい当家ゆえ、そなたのような側用人あがりでなければ、このような助っ人は頼めぬ」
 側用人ではござりませなんだぞ!あれは給金をしぶり用人を増やさなんだ中務様がそれがしを・・・・・・いや、なんでもござりませぬ。
「戯言ゆえ許せ。まあ、とにかく、行ってくれい」
 御意。


 それはともかく。
 実は今日から京都に出張に来ているのである。
 噂によるとどごぞのロイヤルでスケベなジャスティスマスクドファイターが三月に来たばかりとのことらしいが、まあそれはどうでも良い。
 折角京都に来ているので、疲れも出るから、暫く「MAD」制作は休んで、のんべんだらりと落描き等したい。
 と言うか、中務様が数年前に御家老職を命じられた際に、誰かを横の糸代わりにこき使わなければ、わざわざ毎年こんなことしなくても良かったのである。
 それはともかく。
 なんだかんだ言っても、この出張は金は儲からないが国許のことを忘れて洛中の空気を吸う楽しいものである。
 しばらくは出張中のことなんぞを書き留めてゆきたい。


 さて。
 話は変わって『龍馬伝』である。
 今週は京都が舞台で、なんと言いますか、物凄く遠い部分でリアリティを感じたりしました。
 んで、話の肝は、中央集権国民国家化によるリージョナリズムとゲマインシャフト共同体の崩壊だと思うのね。
 またそう言う話か、と思われそうだが、どの角度から視聴してもそのことを言いたいのだとしか思えなかったので、このことについて書く。需要は気にしない。
 毎度くどいくらいに書いているが、中央集権国民国家とは、強い中央政府が、間に地方の間接統治者を挟まずに、直接民衆を平等に庇護する国家のことである。この平等に庇護される民衆を狭義で「国民(=nation)」と言うのだが、この辺について語ると煩雑なので割愛する。
 劇中の勝が目指しているのがまさにこれであり、各藩ではなく、日本と言う唯一の中央政府の下に、民衆が藩の垣根を越えて、同じ国民として再編成されることを望んでいる。
 と、ここまで書けば、今日の感想のオチまでばらしてしまったようなものである。
 この国民化は、己が何者なのか、というアイデンティティの問題と密接に関係している。
 この辺の議論は下手すると右寄りの人間と主張と重なりそうなので怖いのだが、勘違いされないよう最新の注意を払って続けることにする。
 例えば、今、ここをご覧の方に「生まれの国はどこだい」、とお聞きしたとしよう。おそらく九割の方が日本、とお答えになられるだろう。
 これすなわち、国民国家化が単なる制度上だけでなく、国民各個人のファジーな部分まで浸透した証である。
 一昔前までは、「お前さん、国はどこだい」と聞いたら、日本ではなく各都道府県名を答えることもざらであった。
 つまり、国民国家化は、個人の帰属意識を地方から国家へと変えるのである。
 これは当然リージョナリズムの解体に繋がる。国民国家化は中央集権化と一心同体なので、至極自然なことであるし、中央集権国民国家化が近代化の必須条件である以上、国際競争に勝ち残りたかったらやるしかない。
 また、国民国家は意図的に形成されるもので、それは当初極めて人工的且つゲゼルシャフトなものだ。
 各個人が地元で所属していたゲマインシャフトな共同体は解体され、全て均質な国民へと再編成される。
 最近、こうしたゲマインシャフトな共同体を「人の温かさがある」だとか「物は無くとも豊かな社会」だとか言って一面的に賛美しているが、あんまりやり過ぎると国民の概念が揺らぐので、近代国家で在り続けたいならばほどほどにしたいところだ。
 と言うか、既に国民の概念はかなりゲマインシャフトなものになっているのではないだろうか。
 我々が自分の生国を、各都道府県名でなく日本と答える時、人工的なナショナルアイデンティティの臭いを嗅ぎ取るだろうか。よっぽど敏感でないと判らないんじゃなかろうか。
 こうしてみると、実は、人類は有志以来、より大きな母体へと帰属意識を変えていることに気付く。村から町へ、町から地方へ、そして地方から国家へ。
 ここから先は完全に妄想だが、いずれ地球規模の中央政府が設立されれば、我々し自然と生国を地球と言うようになるのだろう。わしが右寄りの人と違うのはこの点だと主張したい。彼らは国家の枠組みを何より大事にする。ただしそれは常に仮想敵国を意識した、内に篭るものとして国家を意識している。わしも国家の枠組みは大事だと思うし、せっかく非西洋諸国の中でいち早く成し遂げられた近代化を水泡に帰すようなマネだけは絶対にしたくないが、もし国家の枠組みが、侵略ではなく合意の上で広がってゆくならば、そして前提として地方の独断専行を許すものでないならば、それはそれで良い変化だと思う。国境が人類滅亡の瞬間まで永遠不滅であるなんて誰が決めたのだ。国会でアホの坂田が決めたのか。
 筆が滑ったのじゃよ。
 それはさておき、中央集権国民国家化は、人々の帰属意識を急速に統一する。
 劇中の竜馬達の懊悩もここに在るのだろう。自分たちは日本人なのか、それとも各藩人(なんか変な言葉だな)なのか。頭で解っていても、いざ選択を迫られると、当時の人達ってこう言う反応を示したんだろうなあ、と思った。
 ちなみに、中央集権国民国家化に限らず、前述したようなより大きな母体への帰属意識の変化は、交通インフラの整備によって進展することが多い。ヒト・モノ・カネの流通が多く且つ速くなれば、社会経済活動の範囲は広がり、共同体が吸収合併されてゆくのじゃよ。
 その意味で、近代に登場した鉄道や汽船、そして情報の圧倒的な迅速化に成功した電信の普及は、人類史にとてつもなく大きな影響を与えたわけだが、それはまた別の機会にでも。
「プロデューサー、そろそろ寝ないと。明日は出張先での仕事初日だから、挨拶回りも有るでしょ?」
 おっとそうだね、まこまこりん。
 では、グッナイ。

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2010-05-23

今週はサラッ、と。

前奏31


 今週も『蒼穹の昴』は面白かった。
 んで、毎度の如く感想。
 ぼちぼち光緒帝の改革が本格化するだろう。そしたらしこたま書きたいことが出て来るだろう。
 よって今週はライトに一点だけ簡単に書く。
 作中、光緒帝は字幕だと「陛下」と呼ばれている。西太后は「皇帝」だけど。
 ここについて、音声の中国語との対比を確認しておきたい。
 音声だと、女官や宦官、官僚が光緒帝を呼ぶときに使っているのは「皇上」である。西太后の「皇帝」は音声通り。
 これを日本語に訳すのであれば、「おかみ」である。戦中の表現で日本の天皇は「聖上」と書いて「おかみ」と読んでいたらしいが、これに近い。あとは徳川将軍に対する「上様」。
 あれ、「上様」と呼ぶのと「公方様」と呼ぶのとではいささか勝手が違うことを御存知だろうか。
 「上様」と言うのは、徳川の直臣の中でも将軍とそれなりに近しい人物、例えば大奥の女官や側用人、老中等が呼ぶ時に使うそうな。
 確かに、将軍職就任式等の公式会見で「上様」と呼ぶのはちょっとフランクな感じがするよな。ここはやっぱり「公方様」だろう。
 と言う訳で、「公方様」はよりフォーマルな言い方だそうな。
 それと同じで、中華皇帝の場合、「上様」が「皇上」で、「公方様」が「陛下」に相当する感じだ。ただし「皇上陛下」と言う表現も有るので気をつけたい。「上様公方様」みたいで変だが。あと、確か昔、何かの史料で中華皇帝に対して「聖上陛下」って表現が有った気がする。
 それはともかく、わしゃ戦中の日本史は専門じゃないので断言出来ないが、天皇に対しても公開制の公式会見で「聖上」と呼ぶのはなんか変じゃなかろうか。
 そんなわけで、「皇上」を字幕で訳すなら「おかみ」、これだと「女将」みたいなので「お上」が一番良いと思う。が、それだと歴史に興味の無い方には判りにくいだろうし、何より日本人の感覚からすると皇帝は陛下と呼びたくなるものなので、これで正解かな、とも考える。
「じゃあ僕は、伴侶と書いてプロデューサー、と読みますよ」
 まこまこりん・・・・・・ッ!!

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2010-05-21

つまりそう言うことなのじゃろう。

前奏30


 昨日は久しぶりに拍手コメントを頂戴しました。
 なんだかんだで物凄く長いこと仲良くして頂いている方で、やっぱり旧友と言うものはありがたいなあ、と感じ入った次第です。
 まことにありがとうございました。「闇神」は「暗闇にドッキリ」とか、あの救いようの無いセンスが今となっては愛しい感じです。「陰陽師」と言う言葉を使用しなくなった件については、それこそ貴殿から色々とお話を伺ってみたいなと思います。
 んで。
 冒頭で「久しぶり」とした通り、まあぶっちゃけ拙ブログはコメントの類を貰うことが極めて少ない。
 等と書くと、しばしばお相手頂いている方に失礼なので、きちんとめんどくさがらず説明する。
 他のブログを見ていても、はっきり言って拙ブログの現状程度にカウンターが回っていると、結構コメントが有ったりする。ところによってはブログと言うより交流所になっていたりする。
 拙ブログは基本的にわしが一人で好きなことを好きなだけぶちまけて、あわよくば人に見て貰おうとするものなので、交流所を目指しているわけではない。負け惜しみではなく目指すモデルの違いである。
 とは言え、やはり、このコメントや拍手の少なさには思うところが無いわけでもない。
 カウンターの回りとコメント・拍手の少なさが比例しない。と言うことは、「あはは、なんだこいつ、おもしれえ。でも見てる分にはいいけど付き合いたかねえな」と思われているのだろう。
 それ正解である。正直、わしは社交性が低いので双方向性の強いコミュニケーションは不得手なのじゃよ。多分わし個人と付き合うよりわしの作品だけご覧になる方が充実した時間をお過ごし頂けると思う。よって現状のままで良い。
 と言うのは負け惜しみで、本当はもう少し色んな人と仲良くなってみたいが、相手の顔が見えない世界ではそれもなかなか怖いなあ、と思う次第である。
 結論。現状がベスト。
 ・・・・・・あれ?前もこんなこと書かなかったか?
「プロデューサー・・・・・・酸素が足りてないのでは・・・・・・?」
 塩は足りてるけどね。
 いや、現在、某地方放送局で『機動戦士ガンダム』やってるんたけど無茶苦茶面白くて。
 何はともあれ、何卒宜しくお願い申し上げます。

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2010-05-20

最近遣唐使ブームなのか?

前奏23


 なんか最近遣唐使と言う単語を良く耳にしている気がするのだが、気のせいだろうか。
 あれか、奈良のメモリアル以来あの辺が注目されつつあるからか。
 何せ昨日の「ヒストリア」が吉備真備じゃったからのう。
 10世紀以前の日本史をネタにすることって、それ以降をネタにするよりもフィクション性を強めにしてもあんまり否定的なカウンターが来ないらしいので、もっと流行ると面白いのにな。
 ほら、「陰陽師」とか。
 まさかあれを史実として読んでいるような人間は、いたとしても小中学生、それもかなり社会認識のアレなのだろう。ああ言うエンターテイメントとして面白い歴史がもっと出て来れば良いと思うのじゃよ。
 ただし中国史は史料の残存状況が各段に良好なので、あんまりはしゃぎ過ぎると手痛い目に遭うと言う。
 先ずは『ギャグマンガ日和』辺りで奈良時代のパロディでもやってくれたらどうだろうか。

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2010-05-19

なんか最近カウンターの回りが良い気がしますな。

前奏21


 こんなほとんど歴史か「アイマス」の話しかしていないブログにいらして下さる方には感謝の念ばかりでございますのじゃよ。
 更にありがたいのは、どうも『蒼穹の昴』と『龍馬伝』の感想を書くとカウンターがいつもより多目に回っているようでして。
 精神衛生に優しいので本当にそうなのか調べないと言う。
 ネット上における歴史モノの感想と言うと、やはりウォーゲームな部分やキャラクターの人間関係について語るのが主流のようですが、拙ブログの如きものにもお目を向けて下さる方がいらっしゃるようで、嬉しゅうございます。
 もし拙ブログをきっかけに、歴史ファンの方が「アイマス」に、「アイマス」ファンの方が歴史に興味を持ってくれたりしたらもう欣喜雀躍。
 一方で、あんまりカウンターが回ると性癖を暴露するようなネタをするのもどうかと思うし、歴史についても下手なこと書くと怖い目を見そうで、ちょっと戸惑いますな。昔っから軽く過疎ってるぐらいの雰囲気に慣れてるもんで。
 とは言えわざわざご覧頂くことは大変な喜びでして、今後ともどうぞ宜しくお願い申し上げます。

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2010-05-18

歌ってこその歌。

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 前も書いた気がするのだが、歌う姿は美しい。
 歌のメッセージを理解するには歌詞を読めば良いかと言うと、やっぱり曲として聞かねばならないと思う。
 そして出来れば歌う姿を見ながら聞きたい。
 歌い手は、メッセージを届けようとして歌うからだ。
 この、詞と曲と唱が三位一体となった時、歌のメッセージは単に詞を読むだけでも曲を聞くだけでも歌うところを見るだけでもなく、それらより遥かにストレートに響く。
 ちなみに受信する側だけでなく送信する側にとっても同様で、やっぱり直に歌うことが一番相手にインパクトを与える。この送信側の感覚を知ることが出来たのは、わしがかつておバンドをやっていて得た貴重な経験の一つだろう。
 去年の「紅白」のテーマが歌の力だったと記憶しているが、歌で貧困が救われるわけでも戦争が回避出来るわけでもないが、歌によって誰かに何かを強いインパクトを伴って伝えることや、それを受け取ることは出来るのであり、歌の力とはこれ即ち表現としての力ではないか、と思った次第。
 これを最もリアルに描けたフィクションの一つが「ハルヒ」ではないかと考えるが、何はともあれ女子高生を描くのは楽しい。

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2010-05-18

思ったよりもいおりんは描き易い。

前奏15


 絵を描かれる方、その中でもパロディを描かれる方にしか面白くないであろう話をします。
 パロディの絵を描く時って、きちんと似せるか、それとも自分の絵柄でキャラデザを再構成するかのどっちかになると思うんだよね。
 わしは基本的に後者、と言うかそれしか出来んのじゃよ。
 んで。
 パロディだから、要は描いたキャラが原作の誰なのかが判れば良い。例えばおかっぱで後ろ髪を跳ね返らせてリボンを付ければ、あとは「アイマス」パロだとタイトルかなんかで宣言してしまえばそれは春香なのだ。
 しかし、それだけでは悔しいじゃないですか!
 記号でどのキャラか判読させるよりも、そのキャラの雰囲気を出したいじゃないですか。
 このキャラの雰囲気を出し易いか否かと言う点で、いおりんは思ったよりも描き易い。
 じゃあ具体的にキャラの雰囲気ってなんだ、と言われるとなかなか言葉で表すのが難しいのだが、例えばそのキャラらしい表情ではなかろうか。ある場面でそのキャラがどんな表情をするのか。普段はおどおどしている雪歩だが真がセクシーな衣装に身を包むと君子豹変しギラギラした目でガっツリ食いついて来るとか。違うか。
 そう言う意味で、いおりんは描き易い。
 多分、絵を描かれる方、その中でもパロディを描かれる方でないと意味不明な話であろうが、そう言うことを気にしないのが拙ブログのクオリティである。

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2010-05-17

むつかしいところですが、やっぱり改善すべきではないでしょうか、勝センセ。

前奏13


 もうこの時期まで面白いなら、十分傑作「大河」入りでしょうか、『龍馬伝』。
 地方分権が無批判に賛美される世の中で、ナショナリズムのポジティブな効用と中央集権国民国家の意義を再確認させるだけでも挑戦的な意欲作だと思いますが、諸兄姉のご意見や如何に。
 さて。
 今週も史実厨的なツッコミを入れてみよう。特に勝にまつわる二点の問題について。
 第一に、幕府の前近代性(地方分権的な幕藩体制)が、実は列強の近代外交に対して有利なものである、という議論について。
 無論、勝はこれを一面的に賛美しているのではない。前近代性も見ようによっては悪いところばかりじゃない、と言う主張は理解している。
 だが、やはりこれは、まずい。
 もし地方分権制が列強の外交に抵抗しきれるものであれば、第二次アヘン戦争以降の不平等条約特権を目的とした対中侵略は無かった、またはもう少し武力的正確を控えただろう。
 北京とどれだけ話を詰めても、結局地方が言うことを聞かない。だからもっと有利な条約を結ぼうとする。
 これを繰り返している内に、「北京をいじめるんじゃなくて、北京の後ろ盾になって、地方に言うことを聞かせられるようにしないと!」と列強の姿勢が変化していくのが19世紀最末期ごろ。この中で日本だけがそれに気付かず日清戦争をしかけたのは有名な話だろう。
 そんなわけで、地方分権制のままだと砲艦外交でボコられる危険があるのだ。
 また、開国前後の幕閣には、わざと英仏語を勉強せず、もし条約違反が生じても「すみません、外国の言葉は解らないんです」と逃げようとした者もいたとか。
 前近代ならそれも通用したかも知れないが、時代は契約の概念が圧倒的な正当性を有する19世紀後半である。すなわちこれ近代。
 こうした外交や契約の話だけでなく、近代化をしているのとしていないのとでは軍事・産業・貿易・学問・文化等々の面で物凄く差がつく。よって、世界中で一国でも近代化しているのなら、それに追いつくべく近代化せざるをえない。現代の核兵器の保有とちょっと似ているだろうか。そんなこと言うと九条問題で叩かれそうだのう。
 かくして、19世紀以降、世界は、アメリカのような莫大な人口と資源を持たない限りは中央集権国民国家となり近代化を達成せざるをえなくなったのである。
 勝センセ、やっぱ幕藩体制ではいかんですよ。
 第二に、幕府からの支援金打ち止めについて。
 これのおかげで竜馬が春嶽に会いに行ったわけだ。「生き金」はまさにそうで、教育や研究、軍事、交通等の一見ゼニの儲けが無さそうな社会資本は絶対に絶やしてはならない。どんなに金が無くても、どんなに票が取れなくても、である。無論、無駄遣いを無くすことが大前提だが。
 ただし、幕府側の気持ちも、解らんでもない。
 何故ならば、この時代の日本には法的に認可された第三者機関による会計監査が無いからである。
 この法的に認可されていることに意味がある。立憲制下では全ての国民は法の前に平等に従わねばならないなのであり、ただの善意の第三者が会計監査をしていても、やはり法的な認可を受けているそれと比べると公正さに対する信頼が違う。
 この会計監査制度が無ければ、いかに官僚が顔役とは言え、彼個人の私的性格を持った教育機関への予算配分を躊躇するのも、ちょっと共感出来はすまいか。
 これは勝が悪いのではなく、制度の問題である。
 ちなみにこの会計監査制度を確立するには、立憲制の整備と商法・民法の制定が不可欠で、結局のところこれまた近代化の一環なのである。
 なんだか毎回近代化は大事だ、とおんなじことを繰り返している気がするが、逆に言うと近代化とはなんぞや、を常に考えさせられるドラマだと言うことで、やっぱりこれ、傑作だと思うのじゃよ。
「ねえねえプロデューサー、横井小ナン・ドイル。なんちゃって!」
 うーん、それなら内藤湖ナン・ドイルの方が正確じゃないかな、まこまこりん。

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2010-05-15

世界で最も強い赤ペン

前奏05


 さて今週も『蒼穹の昴』が放送された。
 今回は、西太后の筆について簡単に二点論じてみたい。
 栄禄が西太后の書を褒めていたが、あれ、下手するとイヤミである。
 なんとなれば、西太后は字が苦手だったからだ。公文書中にも誤字が有るほどだ。
 よって、「また上達されましたな」なんて言ったらカチンと来るんじゃなかろうか。
 次に、栄禄が清朝の大権になぞらえた朱筆、今で言うところの赤ペンについて。
 以前拙ブログでも少し紹介した記憶があるが、清朝皇帝は報告書に対して、次の指令だけでなくその善し悪しまで含めて赤を入れて返却する。
 つまり、公文書に用いる朱筆は皇帝のみが所有するものなのである。
 これを皇帝ではなく西太后が持っていたことに意味が有るのだ。
 さて。
 今回、いよいよ西太后は引退。「朱筆」は光緒帝の手に渡った。
 これが清朝だけでなく近代中国史、引いては19世紀末以降の東アジアそのものに大きな影響をあたえることになるのだが、それはまた、次の機会に論じるべきだろう。
「プロデューサー、栄禄と西太后って、その、本当に、そう言う仲だったんですか?」
 まあ、面白いゴシップ程度に楽しむのが吉かと。

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2010-05-15

なんだこの言葉のセンスのバケモノめ。

前奏02


 どこかで聞いた記憶があるのだが、講演会等のマジメな話で、アタマに笑いをもってくるのが欧米人、話の途中でもボケるのが関西人、最後に笑わせてちょっとほろりとさせるのが江戸っ子、だとか。
 欧米人と関西人と江戸っ子を並列に比較して良いものかどうか知らんが、とりあえず欧米人が丁度落語の「枕」のように、先ずは軽くジョークを飛ばすのは確かに良く有ることだと思う。
 さて。
 前置きが長くなってしまったが、折角また制作を始めたことだじ、今回はとある「ニ○マス」Pの方について、批評、と言うか感想、と言うかラブレターみたいなものを書いてみたいと思う。
 このブログと「ニ○マス」界隈は極力繋げたくないと言っておきながらこんなことするのは矛盾していると思うが、どうしてもやりたいのじゃよ。
 どなたかと言うと、以前にもこちらで取り上げ、ことによると御本人かと思わしき方から拍手コメントを頂いた二○化硫黄Pである。
 最近になって、また散発的にではあるが作品を「ニ○ニコ」に公開されていたことを知った。
 氏の「ノ○マス」を改めて視聴し、心から思ったことが在る。
 二○化硫黄Pは、詩人である。
 以下、酔いに任せて、何故にそう思うのかを書いてみたい。

 先ずは前回の感想の要約を行いたい。
 氏の作品は、「ノ○マス」に見せたエッセイである。深みのある作品よりも刹那的な楽しさが求められる「ニ○ニコ動画」でもエッセイでウケるのは難しい。
 では、何故氏の作品がウケているのか。この点について、単にファンが多い「アイマス」を媒介としているからだ、と片づけてしまうのは早計である。そう思う方は試しに「アイマス」でエッセイを書いてみるとよろしい。例えば、拙ブログの内容が全てまこまこりんの独白だとしたら、どうか。正直微妙なのじゃよ。
 氏の凄い所は、制作者の生の思考がそのまま出て来るエッセイと、フィクションである「アイマス」を巧みに融合している点にある。簡単そうで、誰にでも出来ることではないだろう。うーん、ハラショー。
 と言うのが、大体前回の感想の大意である。
 今回は、氏の言葉のセンスについて論じてみたい。
 氏の作品の面白さのミソは二つ。一つは冒頭のパンツカットや特定のキ○ガイじみたフレーズのリフレイン、そして最後の「キリッ」等の定型化したギャグである。『ヤッターマン』の「おしおきだべ」に通じるものがある。
 今回冒頭で欧米人がうんたら、と書いたのはこのことを言いたかった。氏は必ず冒頭に、一番ビジュアルショックの強いパンツカットを持ってくる。このショックのせいで、以降の「マジメなふりをしたバカ」の「マジメ」さが鼻に付かず、さっぱりと楽しめるのだ。
 この「マジメなふりをしたバカ」がもう一つのミソである。
 この「マジメなふり」が、難しい。「マジメ」になれない者にこの芸当は出来ない。小学生がスーツを着てオトナのマネをしても、オトナが普段どのように生きているのかを知らないから表層的なギャグで終わってしまうのと同じだ。
 かと言って、あんまりクソ「マジメ」にやると、面白くない。ネタの根幹は「バカ」であり、「バカ」が生きるように「マジメ」ぶらなければいけない。これひとえに言語感覚によるものである。視聴者は氏があくまで「マジメ」なふりをしているだけだと知っているからこそ、無茶苦茶な理論の飛躍もネタだと解った上で楽しめるのだ。もし「マジメ」なふりだと解らせていないと、理論の飛躍はギャグではなく、モノホンのミスに見えてしまう。キ○ガイじみた話ばかりをする氏だが、毎回、物凄く丁寧にプロットを組んでいるんじゃなかろうか。
 この、この、この絶妙なバランス!そしてありふれた手法ながらこれを可能にしている言語感覚!!
 すばらしい。
 このような「マジメなふりをしたバカ」ネタだと寺山修二が近いだろうか。サザエさんは娼婦だ、とか言ってなかったか、あの人。あれは真剣な評論と言うより「真剣に評論するとこんなギャグみたいなオチに至るんですよ、面白いでしょう」と言う、スマートと言うよりクレバーなギャグだと思うのだが、どうか。
 それはともかく、氏は「ニ○マス」界の寺山修二か。いや違う気がする。一見杜撰なようで、冒頭のビジュアルショックから定型化した言葉の繰り返しを用いるまでの緻密な文構成は芥川に近い気がする。
 何はともあれ、氏はビジュアルと言葉の配列にとても心を配っている。
 つまるところ詩人ではないだろうか。それも右脳で思いついたものを心の赴くがままに書くのではなく、考え抜いて書くタイプではないだろうか。
 等と長々と書いてきたが、要は面白いのでなるべく多くの方に御視聴頂きたいのである。
 ネタに対してちまちまと解説していると、くだらないことを真剣に考える頭の良い人のポーズをとる呉智英のようだが、わしがそう思われること自体はそれでかまわんので、とにかく御視聴頂きたいのじゃよ。
 ほんと、ファンです。

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genre : アニメ・コミック

2010-05-13

ぼちぼちまたやろうかと思います。

前奏01


 また始めようかと思います。
 毎度の通り、使用曲の曲名は先ずは書かずに参ります。
 今度も「アイマス」で楽しめそうです。

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genre : アニメ・コミック

2010-05-13

ええ、まだ、続くのじゃよ。

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 色んな意味で趣味丸出しのまま続くと言う。

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2010-05-12

ええいもうこのままいったれ。

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 天下広しと言えどこんな「アイマス」漫画を描いているのはわししかおるまい。

theme : アイドルマスター
genre : ゲーム

2010-05-11

そうですよ、そう言う漫画ですよ。

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 なんか4月11日分の拙画が見れなくなっていた。確認したら、アップした拙画の名前が一文字間違っていた。多分、以前再編集した時にミスったんだと思う。そんなわけで、訂正致しました。御寛恕の程を。
 さて。
 流石にこれは貴音ファンに殴られるのを覚悟すべきか。

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genre : ゲーム

2010-05-09

恐らく歴代徳川将軍で一番評価が不安定じゃなかろうか。

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 ああ、今は馬関戦争って言わないんだ。へえ。
 そんなわけで『龍馬伝』感想です。
 ストーリーのメインは武市の動向でしたが、拙ブログでは、むしろ当時の幕閣、具体的には慶喜・春嶽ラインあたり、特に慶喜の攘夷決行に対する処理如何について考えてみたい。
 言わずと知れた徳川幕府最後の将軍、慶喜。今回のドラマだと行き過ぎたマキャベリストみたいに描かれていたが、実際には西洋の文化・技術の先進性を認知した上で排他的独立を志した人物で「あろう」。ドラマで言うと勝とかなり近い人物だった「筈だ」。慶喜については評価が定まっていないため専門でもないのに断言するのは怖いので、一応このようにしておく。
 さて本題。
 攘夷決行に対して、慶喜は各藩に対応を一任した。
 またその話かよ、と言われそうだが、これは極めて前近代的な対応で、とても国民国家の対応とは言えない。例えばおとなりの国で、「日本がパチモングッズを製造してはいけないと言ってるけど、その工場を取り締まるか否かは各省に任せるから」と言う対応を取ったら如何か。つまりはそう言うことである。
 かように幕藩体制とは前近代的なものだったのである。今回の慶喜の対応については、この前近代性を利用して①ガチンコの対外戦争で国を滅ぼさずに済ませた②責任逃れをした、と二通りの評価が出来よう。あくまで個人的な感想だが、幕藩体制を解体出来ていない以上はこれしかなかった、と好意的に解釈したい。
 ただし、こんなことをすれば、もちろん諸外国は「ああ、やっぱり日本は前近代国家だ。国家間の条約を守ることも出来ないし、地方の暴走を止めることも出来ない」と認識する。日本の評価は下がり、半植民地化が進む。
 そこで出て来るのが、長州の「暴走」で生じた被害を、長州ではなく幕府が補償する、と言うアフターケアである。
 もし補償まで長州に任せたら(無論長州が払うわきゃないが)、下手すると「つまり長州は自らの意思で戦い自らの意思で戦争を終結させるのですね。それって独立国ですよね。じゃあ今後長州については幕府を介さずに対話します」ということになる。
 世界史Bを履修された方ならば思い出されはしないだろうか。そう。これは日本が日清戦争に際して朝鮮を独立国と看做したのと同じ論法である。長州藩と朝鮮では話が違うが、間接統治下の地方政権を独立国と看做すと言う部分では同じことである。
 こんなことされてはたまらないので、長州の「暴走」については、それを止めようとしたけど止められなかっただけで、あくまで日本を代表する中央政府は徳川幕府ですよ、とアピールすることが、このアフターケアの目的であったと考える。
 このように、幕末期の徳川幕府は、前近代的な幕藩体制に依拠しながらも西洋の近代国家と交渉を続けなければいけなかった。この苦しみを解決するのが、統治構造の一元化(=幕藩体制解体を可能とする)、すなわち公武合体、引いては大政奉還だったわけだ。ほんと、なんで武力討幕までする必要が有ったのだろう。
 そんなわけで、今回のドラマでは随分とモラルハザードしているような描かれ方の慶喜だが、個人的には、あの状況でがんばったんじゃないかな、と思う次第である。無論、ドラマの描写のみについて述べるならば、為政者があんなことを笑いながら言うべきではないが。また、勝も同じく為政者ならば政策の善し悪しに姑息か否かを口にすべきではないが。まあこちらは独り言だったけれども。
 さて。
 こうして当時の若者達は、武力排外運動が如何に夢物語であるのかを思い知ってゆくことになる。この辺の様子は、どこか学生運動の終焉を見るようで、何とも言えない感慨深さがある。
 幸い時代の波に乗ることが出来た竜馬達の運命や如何に。
「固唾を飲んで次回を待て!ですか?」
 そっ、それだよまこまこりん!なつかしいなあ!「BB戦士」の取説漫画とかでさあ!!

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2010-05-08

まさしくその通りです皇太后陛下。

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 いよっ、皇太后!流石だね!!
「とっ、突然どうしたんですか、プロデューサー?」
 いや、今週の『蒼穹の昴』で、西太后の指摘が余りに素晴らしかったので。
 何かと言うと、改革に賛成する者の中には清朝を倒そうとする者もいるから気をつけろ、と光緒帝に忠告したシーンである。
 これは全くその通りなのじゃよ。
 改革に賛成する者といっても、その改革をどの程度までやるか、と言う点については意見が分かれていた。
 物凄く大きく二派に分け、かつ清末について御関心の無い方にも解り易いように言うと、「清朝は残して制度だけ変えよう」派と「清朝が倒れない限り改革は出来ない」派である。
 両派の内、この時点で元気なのは前者である。後者はまだ少数で、更に言えば「清朝も光緒帝が改革を試みているから、先ずはお手並み拝見」的な態度を示していたのじゃよ。
 後者が光緒帝の改革に期待したのは、無論、改革によって近代化すれば言うこと無し、という「まっとう」な考えによるものだが、一方で、「とにかく満洲族は大嫌い!この国は漢民族のものなの!!」と言う孫○らレイシストがいたことも事実だ。
 漢民族主義は太平天国の乱で一時的に大ブームとなっており、それからおよそ半世紀を経た劇中の時点でも残っていた。そもそも清朝が満洲族の王朝である以上、こうしたレイシズムに基づく批判が完全に無くなることは無かったとも言える。
 漢民族主義者が光緒帝の改革をとりあえず傍観した理由については諸説あるが、国会の開設によって皇帝専制を崩壊させれば共和制への移行が可能と考えていた節があるようだ。
 彼らの国会開設にかける期待は大きく、これがやがて辛亥革命の一因となってゆくのだが、それはまた先の話である。
 と、このように、光緒帝の改革については、それに反対する勢力があるのは勿論のこと、賛成する勢力も一枚岩では無かったことに注意したい。
 そして光緒帝と康有為は、様々な派閥を丸ごと抱き込んで反対派と対決することになってゆく。
 いよいよ清末史、と言うか近代中国史の最も濃密な十数年間が始まる。
 厳密な意味で近代化出来ていない「であろう」現中国の、最初の「躓き」を我々は見ることになるのだ。
 益々目が離せませんなあ!!
「だんだん辮髪がかっこよく見えてくるんですよね」
 何を今更。

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2010-05-08

南蛮風味チャンチャンバラバラタイム。

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 もちろん真面目にバトルシーンを描こうなんてつもりはさらさらないとか。

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2010-05-06

新感覚らしいです。

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 雪歩さんだって日々進化しているんです。

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genre : ゲーム

2010-05-05

対決は必至。

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 いよいよ南蛮剣法と対決!
 だがわし自身はフェンシングなんて全く知らないという。
 このぶっつけ本番具合こそわしクオリティですじゃよ。

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2010-05-04

ちなみにこの時代のカステラはホットケーキのようなものらしいですな。

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 基本的に時代考証とか全く気にしないでやっているこのシリーズですが、今回は4コマ目の「大食」についてだけ、補足したいと思います。
 ここで言う「大食」は単にいっぱい食べることを差しているのではありません。これはイスラム系の人を差します。断食行の反動でしこたま食べる姿を見て、中国人が大食と呼ぶようになったそうです。
 いよいよ真兵衛は初の対南蛮人戦に挑むのか。

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2010-05-03

センセ、流石にそれはポジティブに過ぎるのではw

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 上掲拙画だとまた清末の話かと思われそうですが『龍馬伝』感想でございます。
 先ずは細かいところから。
 今回、勝が冒頭で「人(ひと)」を「しと」と発音していたように記憶している。
 ブログと言うのは不特定多数の方に向けて発信するものなので、ことによると関東に御縁が無く、且つ若い方(わしは林原ボイスの中学生ということになっているからそれ以下と言うことになるだろうか)には御存じないことかも知れないので補足しておくと、これは噛んだのではない。
 江戸っ子はハ行の発音が苦手、と言うか土着の東京弁はハ行の発音が少なく、これらはしばしばサ行に変わるのである。ただし全てのハ行が変化するのではない。今回のように「ひと」は「しと」になるが、だからと言って「はねだ」が「さねだ」にはならない・・・と思う。正直記憶が曖昧である。
 同様にサ行がタ行に変わることも多い。「まっすぐ」が「まっつぐ」になる。最近そう言う名前のドラマが有るらしいので、こちらは聞き覚えがございますまいか。
 何はともあれ、従来の竜馬モノでは竜馬の土佐弁だけはしっかり抑えるのに他の方言を軽視する傾向があったように思えるが、『龍馬伝』はここのところをかなり注意している作品のようだ。とても楽しい。
 九州出身の竜馬ファンが東京弁で勝を演じると言うのもなかなか味わい深いものがある。
 さて。
 今回も海軍学校を通じて、勝が藩の垣根を取っ払った中央集権国民国家の重要性を語っていたが、この部分は前回詳しく書いたので割愛する。
 むしろ、今回は勝の異常なポジティブさにツッコミを入れてみたい。
 海軍学校の生徒が武力による攘夷のために学んでいることについて、勝は、国民国家への意識を持つことで自然と「ああ、こりゃ列強と戦争してもしょうがないわ」と気付く、としていた。
 これは論理が破綻している。国民国家になったからと言って国民の社会認識が高まるとは限らない。むしろナショナリズムの暴走に陥る危険がある。
 また、勝は、西洋の技術の習得によっても列強との戦争の愚を悟る、としていた。
 本当にそうなら日清戦争の敗北は無かったわい!!
 西洋の技術の導入に積極的だった李鴻章ら先進派官僚は日本との戦争に勝ち目が無いことに気付いていたが、肝心の国家元首たる光緒帝が、そこんところ全く理解出来ていなかった。光緒帝はリベラルで開明的な人物であったとされるが、少なくとも軍事については完全に素人だったのだろう。西洋の技術を習得しても、それをどのように運用するかを正しく理解していないととんでもないことになる危険が有るわけだ。
 もし今回の『龍馬伝』を李鴻章が視聴していたら、「勝大人、では貴国の大君と王もその学校に入れることをお勧めしますぞ。うらやましい限りですな」とでも言うんじゃなかろうか。
「それにしてもプロデューサー、やっぱり青春学園モノって、良いですね!」
 解るぞまこまこりん!実はわしも、このテのシチュエーションは大好きなんじゃ!!

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2010-05-02

演出なのか本気なのか。

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 今週の『蒼穹の昴』はちょっと変だった。
 何が変だったかと言うと、楊と梁の師弟が西太后に言った台詞の内容である。
 いつもよりも更に本編をご覧になっていないとつまらない内容になると思うが、史実厨によるツッコミの見せどころだと思うので、いつもより気合いを入れてやってみようと思う。
 変だったのは大別して三点である。
 台詞を一言一句全て正確に覚えているわけではないので、そこんところは御寛恕願いたい。
 第一に、梁の、諸外国が近代化出来たのは身分や能力に関係なく民の意見を広く聞き、それにより政策を決定するので民にとまどいや疑いが無いからだ、というものである。
 これだと近代化の要因が民主化になってしまう。そんなことはないのである。これまた世界史Bでやるように、近代化の最初のステップは、官僚制、常備軍、国民国家の建設の三つである。この内国民国家の建設が大変で、その前提に立憲制の確立と領邦の確定と中央集権化があるのだが、この辺は今年に入ってから近代史に触れることが多くなったためいやってほど書いてきた気がするので、贅言を要すまい。
 とにかく、民主化は近代化の要因ではない。民主主義が不要と言うのではなく、近代化するのに絶対に必要なものではない、ということである。途上国の開発独裁体制の政策効率性を倫理観から批判しても仕方無いのと同じである。
 確かに当時の列強は国会を開設していた。しかし日本を見れば解るように制限選挙だったし、何よりも国会開設は近代化の最終段階で行われることが多い。官僚制も常備軍も国民国家体制も無い中で国会を開設したなんて例が有るのだろうか。楊と梁は、ドラマで言われていたように本当に列強のことを研究していたのか。フィクションのキャラクターにそんなこと言っても詮無いのは承知の上で面白がっているのである。
 第二に、梁の、外交のやり方を列強と同じようにしたがうまくいかない、という部分である。
 実際には清朝が「近代外交」を始めるのは1905年ごろからであり、この時点ではまだまだ見よう見まね、といったところだろう。そりゃうまくいかない。と言う訳で、この第二の点は当たり前と言えば当たり前の問題である。
 第三に、楊の、近代化を達成するには西太后の引退が必要である、と言う台詞である。
 守旧派がいなくなれば近代化出来るのか。それは改革派のプランが確実に成功することを前提とした議論ではなかろうか。後世を生きる我々の目から見ると西太后によるソフトランディングの方が現実的で、しかも成果が上がっているわけで、小首を傾げる。もっと細かくつっこむと、楊と梁にとって近代化とは民主化ということになっているが、当然、民主化と西太后の引退はイコールではない。
 以上のように、楊と梁の言い分はおかしい。
 原作の小説でもこのように言っていたのか記憶にないが、いくらわしでもここまで変なら気付いている筈だ。
 このミスは、今後の光緒帝の改革で目玉となってゆく国会開設に視聴者の注意を向けさせるために演出として行われたものだろうか。
 と、考えるのが普通であろうが、相手が「あの国」なので、次のようにも思ってしまう。
 近代化とは民主化である、と意識させることで、「あの国」の視聴者に民主化を訴えようとしているのだろうか。
 だとすると、監督は結構過激な人である。
 または、今日「あの国」で嫌われている清朝が民主化に否定的であるように描くことで、現政権がこれに反して相対的に民主的である、と言いたいのか。
 これは有り得る。オリンピックに万博と、最近は経済的発展だけでなく自由化・民主化も進んでいるように見せたい「あの国」である。
 そんなわけで、今週は不思議な回でした。
「・・・・・・最近はラブドラマ分が少ないですよね、プロデューサー」
 ラブならドラマじゃなく、わしに求めればいいじゃないか、まこまこりん。
「プロデューサー・・・・・・!」
 ああ、酒が、美味い。

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2010-05-01

『オレはロイヤルスケベ』45発目

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 桜伐るバカ梅伐らぬバカと申しますが、花見の時は伐らなくてもバカになる時が有るかと存じます。

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