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2011-12-24

トップダウンからボトムアップに至る。

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 遅まきながら『坂の上の雲』感想。
 ここ数回分をまとめて思ったことは、司馬遼太郎の国民国家に対する負のイメージの強さだったりする。
 国民国家とは・・・・・・この辺の話は『龍馬伝』感想でしこたまやった気がするので割愛する。
 と言いたいが、中高生で初めておいでくださった方もいらっしゃるかも知れないから、簡単に説明させて頂く。
 国民国家とは、被支配層が全て均質な「国民」として形成されている国家である。
 江戸時代は国民国家ではない。被支配層は各藩に属しており、A藩ではレベル10の福祉を受けられるがB藩ではレベル20の福祉を得られるとか、均質な「国民」ではない。
 じゃあなんで国民子坂にならなきゃいかんかと言うと、近代化の前提が国民国家であることだからだ。
 近代化と言うと、すぐに思いつくのは蒸気船・機関車や重工業の発展である。しかしそれは「ソフト」に過ぎず、そうしたものを十全に昨日させるだけの法制度や人材の育成が不可欠であり、そのためには地方ごとに法の運用や教育内容が異なっていては不味いのである。
 全ての被支配層が均質な「国民」であるからこそ、近代化は実現しうるのである。
 んで。
 『坂の上の雲』は間違いなく傑作だし、今回のドラマもすんげえ良い出来なのだが、どうしても目が行くのは司馬の国民国家に対するマイナスイメージね。
 国民国家は、「国民」に福祉のみを与えるわけではない。兵役を強いることもあるし、総力戦となれば生活を制限されることもある。
 従来の歴史学では、支配層の動向に重点がおかれてきた。小中高の歴史の勉強が、偉人の行動を暗記することにあるのも、その影響だろう。
 一方、戦後、民間の歴史の重要性が問われることになった。支配層の政策が被支配層にどのような影響を与えたか、という問題である。
 今日の歴史学では、これを主とした社会経済史が勢いづいている。これ自体は歴史観の相対化を可能とするもので、喜ばしい。はっきり言ってわしはシンパシーを覚える。
 司馬は従軍経験があるためか、特にこの傾向が強いく、その結果、国民国家がまるで全体主義的であるかのような表現をまれにしているように思われる。
 しかし、本来全体主義云々以前に国民国家であることは近代国家であることの前提条件であり、国民国家であることと全体主義であることは別ではなかろうか。人種差別をし、被支配層を均質な「国民」としなかった国が全体主義に走ったこともある。
 あくまで私論だが、国民国家であることを否定するのは、極めて危険ではなかろうか。我々は均しく「国民」であることを受け入れる必要があるのではなかろうか。
 どこぞのそのまんまな知事が、テレビで廃藩置県のやり直しだ、みたいなことを言っているのを見た記憶が有るが、あれ、マジなのであれば近代国家であることを否定している発言だと思うのである。自分のところの県民は「国民」ではなくて良い、という発言だと思うのである。
 一律に福祉を受けられる代わりに一律に負担を強いられるが、それでも「国民」であるべきだと思うよ。
 ただし、それと最近の増税議論とはまた別で、全ての「国民」からそれぞの財産や居住環境を配慮せず一律に負担させるのは悪平等であろう。ほんっとうに均質な「国民」にしようとすれば、共産主義しかありえないし、個々人の能力差も認めないわけですからな。あくまで、中央政府の指示が地方政府の介入により中止されることなく、全ての被支配者層に行きわたると言う、支配関係の上で均質であるまででとどめておくのが無難というものであろう。
 まあ、総力戦になったらそんなこと言ってられないのだろうけど。ねえ、やよいさん。福祉が小さくても「欲しがりません」とか言うやつですな。
 ああ、いやだ。
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