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2012-02-17

書きたいことがいっぱいだ。

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 さて、こないだの「清盛」だが、書きたいことかいっぱいある。
 先ずは宋の実力主義について。
 多分、科挙のことを言いたいのだと思う。
 確かに、科挙によって宮廷のメンバーは血縁よりも能力を重視するようになった。そもそも科挙が最初に設けられた隋では、江南の門閥貴族(それこそ「三国志」の呉のように)を排除し、優秀な人材を官僚として登用することが、その目的とされていた。科挙による社会流動性はその後も保証され、その難しさと公平さは清末の曾国藩の記録からも明らかと言えよう。こうした高等文官試験制度に基づく官僚制は、地方の有力者を無制限に権力の中枢に入れないことから中央集権国民国家の基盤の一つとなり、ひいては近代化に大きく貢献するのじゃよ。ヨーロッパもマネしますしな。
 つまり、中国は隋の時代には、近代化の要件を一つクリアしていた、と言えましょう。
 試験制度による選抜社会は学歴社会だなんだと悪口言われるが、問題にすべきは試験の内容と機会の均等如何であり、試験によって出自に関係なく社会的地位の向上が認められる制度自体は極めて重要なのであろう。なんか前にもどっかで書いたな、こんなこと。
 遣隋使に遣唐使まで派遣して、これを学ばなかったのは、わりとクリティカルなことだったと、わしは思う。
 んで、科挙による社会流動性だが、必ずしも完璧だったわけではないのは有名である。受験準備に膨大な時間と資金が必要なため、結局、科挙の高位合格者は最低でもそれなりの生活が出来る人間がほとんどであった。
 ここで「清盛」に戻る。
 清盛に対して、宋が実力主義社会だと言ったこの人物は後のあの人であるが、あの人が、科挙による社会流動性が不完全であることを知らなかったとは思えない。だとすると、あのセリフは、なんだかんだであの人も貴族であり、彼が言う社会流動性とは、貴族社会というピラミッドの頂点近くの狭い三角形内での話だったと考えられよう。
 彼が、その後自分の親族を重用することを考えると、理にかなった巧い演出だと思う。
 次に、海賊王について。
 前近代の海賊とは、特定の治安維持団体がおらず領海の概念もあいまいだった時代においては、自衛可能な数少ない海洋商人だったのじゃよ。
 よって、事実海賊王と呼ばれるような人物は、いた。有名どころで倭寇の王直や、鄭成功の親父の鄭芝竜である。
 その後日宋貿易で大儲けする清盛のことを考えると、海賊王と言うのも、あながち完全にギャグではないと思う。いや、笑ったけど。
 最後に、宋の書物について。
 今日でこそイメージし難いかも知れないが、漢籍は重要な輸入品である。なんとなれば、国風文化こそあれ、社会制度や科学技術については中国の方が上だったから。また、著名な漢詩とその作者等は平安のころから教養の一貫だったのじゃよ。
 当時の中国の優位性については、アンドレ・グンター・フランクの『リオリエント』に詳しい。邦訳が出ている。ただし、どうもこの手合の西洋人東洋史家は面白いマクロな理論をするのだけど実証的に危うい時があるようなないような。その時に使えた史料を考えると仕方ないかも知れんが。
 漢籍の輸入の重要性は江戸幕府のころにも続いており、吉宗などは特に留意していたと言う。勉強家の彼であれば、さもありなん。
 そんなわけで、話は冒頭の方に戻るが、このころの中国はまだまだ学ぶべき相手だったと考える。今日の風潮を見ると、安易に中国を褒めると何を言われるか解らないが、わしはそう思う。
 それにしても、春香さんは読書する姿が・・・・・・いや、みなまで言うまい。
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