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2010-02-22

松陰と言い小龍と言い東洋と言い、『龍馬伝』のインテリは凄い良い味出してますな。

04_ストライキ40


 今回は、竜馬と弥太郎がしょっちゅう言いたてる士層間格差に変わった角度からメスを入れる話でしたな。
 身分が低いから言い分が通らないのではなく、能力が無いから通らない。
 これはもちろんひどい言い草で、こんな理屈がまかり通れば永遠に社会正義は確立しない。
 だからこそ立憲制を確立し、いかなる権力者・実力者といえども法律の前には平等に扱われることが重要と言う訳である。
 そこんところは今回では触れず、むしろ、身分にかこつけてうだうだ言う前にテメエの実力を知れ、と言うのがテーマであったように思える。
 これ、幕末当時では相当アバンギャルドな発想だ。試験制高等文官登用試験制度が無いのにどうやって低い身分の者の実力を客観的に認識しろ、と。
 こうした実力本位主義が台頭するのは、教育制度が普及し、学歴が社会的地位の決定に大きな影響を及ぼすようになってからである。
 科挙制度も無かった国が、こうした制度を短期間の内に確立し、そこから生まれた人材を活用出来たと言うのは奇跡的である。やっぱり明治日本は凄かったのだ。ただし藩閥政治期ではまだ完全に機能していなかったが。
 話がずれるが、以上のように学歴社会であることは決して悪いことではない。学歴が無くなったら試験制度の権威が弱まり、本人の努力以外の部分、例えば出身等で社会的地位を決められてしまうからである。
 学歴社会で問題なのは、そこで比較される学力の中身が有為なものであるか、と、高学歴を獲得するチャンス(=教育機会)が均等であるか、の二点なのだ。学歴社会を批判する際にはここから攻めないと、前近代的な貴族制社会の用語に繋がってしまうことに留意したい。学歴なんて関係ないぜ!と軽く口にするロケンローラーには、それが反社会なのかそれとも封建貴族制賛美なのか、聞いてみたいものだ。
 無論他にも、有為な学力とは具体的にどのようなものなのか、人格等の客観的な採点が不可能なものを試験対象とするならばそれをどのように評価するか、等々と議論は尽きない。
 閑話休題。
 作中における吉田東洋の考え方ははっきり言ってぶっ飛んでいた。が、こうした身分格差ではなく能力格差の点から竜馬をいじめると言うのは、竜馬モノの中では珍しいんじゃなかろうか。
 あと、竜馬と言うと議論をふっかけられては「わしゃバカじゃき、わからんぜよ」と逃げるのがステレオタイプなイメージの一つとしてあると思う。『龍馬伝』ではこの逃げ方を極力避けているように見える。大変好ましいことだと思う。今回の話を視聴して一層そう思った。
「や、弥太郎・・・・・・ぐすっ、かわいそうに・・・・・・っ!!」
 愛しいまこまこりんは優しいなあ。
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