FC2ブログ
2010-07-08

ようやっと『龍馬伝』を消化した。

02_例えば13


 気付いたらカウンターを見る限り拙ブログのメインになりつつあるように思われる『龍馬伝』感想。
 個人的には『蒼穹の昴』の感想であって欲しいし、もっと欲を言えば毎月の歴史のコーナーこそかくあれと思うのだが、それはやはり商品の質と需給関係の問題なので、仕方が無い物と考えることにする。
 んで、『龍馬伝』である。
 これはあくまで私的な感想ですが、竜馬がツケを清算しているように見えますな。
 毎度々々おんなじことを書いているのでまたそれか、と言われそうだが、やっぱりこれは近代化のミソであるところの中央集権制国民国家(勝と竜馬の言う「日本」)の建設を余りに安易に考えていたことへの報い、と読めてしまうのである。
 特に、勝と竜馬の言う「日本」を守る海軍になるため学校に入ったらただの船乗りになってしまった、と言う発言。先ずはここに着目したい。
 彼のような人間が当時は山ほどいたんじゃなかろうか。攘夷自体がそんなもので、てっきり正しいと思ってやっていたら、何のことは無い、象に爪楊枝を突き刺すようなマネをしていたと気付くのである。
 現代を生きる我々がこう言う評価の仕方をするのはフェアではないが、やっぱり、作中の竜馬達(勝含む)は、自分達のやろうとしていることがどれだけ既存の社会秩序を破壊するのか、破壊するからこそ抵抗されるのかを読み違えていたと言えよう。
 作中の勝と竜馬が欲していた「日本」の海軍は、間違い無く正しいのだがあまりにもリスクを軽視した「夢」であった。
 作中で岩崎が、この修羅場を自分の目で見ろ、と竜馬に手紙を認めていたが、これも同様のものに見える。国家を単位として捉えるナショナリズムは、時として地方の実情を故意の有無に関わらず無視してしまう危険がある。
 以上から見えて来るのは、ナショナリズムが時として耳障りの良い幻想でしかないと言うきつい現実である。ナショナリズムの負の効用と言うとすぐに想起されるのはファッショ的な言論弾圧と全体主義化であるが、もう一つ、ナショナリズムによる酩酊感が現実認識を歪めてしまう危険にも留意する必要があるだろう。例えばこないだのサッカーだが、街中で騒ぎ、わめき、多大な迷惑を及ぼした連中はナショナリズムの正の効用を見せていただろうか。ゼロサムゲームのスポーツで戦闘心を煽られた結果、ナショナリズムの快感に溺れてしまったと言えよう。
 こうして見ると、以前どなたかへのコメントにてご紹介したベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』はむべなるかな、である。ナショナリズムは中央集権制国民国家を建設・維持する上で必要不可欠なものだが、危険であり、何より実体を持たない儚い想像に過ぎないのだ。やはり古典はそれなりに正鵠を射るものなのだろう。
 では、ナショナリズムに実体を持たせることは出来ないのか。概念を具象化することは物理的に不可能だが、実感できるようにすることは可能だろう。例えば国籍法による「国民」の定義付けと、アイデンティティを全体主義化しない程度に統一化する教育ではなかろうか。なんて言うとまたあっち系の人に思われそうだが、仕方有るまい。
 話を『龍馬伝』に戻そう。
 もしわしが想像している通りに脚本が書かれているとするならば、この作品、かなり残酷である。
 作中の熱いナショナリズム、近代特有の正の効用を信じることが出来たナショナリズム。あれに心を震わせた視聴者はわしだけでは無い筈じゃよ。
 しかし、ドラマはずんばらりと、その甘い認識を切り捨ててしまうのである。
 次回、いよいよ竜馬と正反対の、土佐から物理的にも心理的にも離れられなかったリージョナリストとして描かれていた武市が最後の清算を行う。
 益々目が離せない。みんなで見ようぜ、『龍馬伝』。
「みんなで見ようぜ、って・・・・・・この感想をわざわざ読んで頂いてる方の大半は、ご覧になってると思いますけど、プロデューサー」
 まこまこりんと一緒に見られれば、それで良いのじゃよ。
スポンサーサイト



theme : ヲタク人日記
genre : アニメ・コミック

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

mino

Author:mino
 

最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
最近のトラックバック
カウンター