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2010-07-18

今週の感想は長めです。

02_例えば49


 遂に第三部に入った『龍馬伝』感想ですよ。
 今週は全部で五点くっちゃべりたいところがあるのだが、その前に、某紙を通じて監督について多少知ることが出来たので、先ずはそこから整理しておきたい。
 監督は法学部出身だそうな。となると、もしかすると法制史がご専門だったのだろうか?従来の大河と比べて遥かに社会科学的なテーマを含んでいた理由が少し解った気がする。
 また、監督がインタビューの中で月代を中剃りだとか言っていた。法制史ではなく、純粋に法学の人なのだろうか。下手すると歴史についてはそんなにお詳しくないのかも知れない。なんてことをわしが言えた義理ではないのである。前回、切紙を紙切と書いてしまった。訂正しておきますのでどうか御寛恕下さい。
 あと、監督は放映から暫くの間『龍馬伝』の感想ブログ等を巡回されているそうな。曰く、日本で一番『龍馬伝』で検索しているであろう、だとか。拙ブログはご覧の通りのオタク向けなので、まさか御高覧頂いているとは思えんが。
 さて。
 では、本論に入る。

 本日のポイントその一。岩崎が自分の健康状態を秘匿する点について。
 現代でもワンマン社長の企業だと、トップの健康状態によって投資家の動向が変化することがあるが、明治の頃はそれがもっと顕著であった。
 本来、有限責任株式会社の株式は経営者個人に対する信用ではなく企業・法人に対する信用に基づき売買されなければ市場のルールが機能しないのだが、そんなことはないわけだ。明治・大正期は特にそうで、これは当時のアジア諸国に共通する問題でもあった。特に有限責任株式会社制度がまっとうに根付いていなかった中国では、完全に個人信用で株式(正確には股と言い売買が完全に自由ではない)が売買されていた。

 本日のポイントその二。グラバーとの蒸気船貸与交渉について。
 船のサイズによって話が異なるのだが、作中では触れられていなかったので、これがふっかけられていたかどうかについては一先ずおいておきたい。
 当時、蒸気船は最新鋭の船であった。早くて丈夫なのだが、如何せん燃料費が高くつく上に燃料を積まねばならんので積載量が限られていた。よって、当初は郵便に用いられており、その後軍用船となっていった。ただし、その燃費の高さからイギリス海軍の正規軍には編入されず、P&O社にアウトソーシングしていた。
 そんな高価なものを借りようとするのだから警戒されるのは当たり前である。
 また、借りる船種にどうして蒸気船を望んだのか、解らん。
 竜馬がやるとしたら外国商社と国内市場の仲買、即ち買弁であろう。ならば既に国内で用いられていた帆船で十分ではなかろうか。もし蒸気船の借り受けを依頼したのが史実であれば何か理由があると思うのだが、寡聞にして知らない。史料的根拠を知りたい。

 本日のポイントその三。幕府の対外貿易統制力の回復について。
 幕府が対外貿易を統制出来るようになったのは良いことに決まってるじゃん。
 幕藩体制を崩さなければ中央集権化は出来ないが、だからと言って当時の各藩が個別に武器・軍艦の輸入を行う事態が望ましいものとはとても思えない。例えば現代において、どっかの知事が自衛隊だけでは不十分だと言って県独自の軍隊を創設して、その物資を諸外国から買ったらどうか。そんな危ないこと許せるものか。
 結果としてイギリスのシェアが縮んだ、と言うが、そんなにイギリスにとって大変な事態だったのか。大変だったとしても巨額の出費を覚悟して武力行使するほどのことだったのか。この点、次のポイントと併せて議論してみたい。

 本日のポイントその四。イギリスの対日工作について。
 このころのイギリスはインド植民地統治と対中貿易の不振(アヘン戦争によって全てが解決した訳ではない)から、とても日本を相手に出来る状態ではなかった。以降もイギリスのアジア政策の中核は対中工作である。
 そんなご時世に、総勢二万五千近くの歩兵を上陸させる余裕があったのだろうか。イギリスのアジアにおける海軍力は東インド会社と前出のP&O社に依存しており、どちらも対中貿易の改善に必死だ。1857年のシパーヒーの反乱によって致命傷を被り海軍費の縮小を決定するまで、大英帝国アジア方面艦隊は「ガラスの艦隊」であったのじゃよ。
 ただ、ここまで具体的に言うからには、もしかすると史料的根拠が有っての表現なのかも知れない。しかし、この上陸作戦、果たして議会を通過出来るかどうか。

 本日のポイントその五。狭い鳥小屋みたいな国で争い合う愚かさについて。
 ここは全くその通り。繰り返しとなるが中央集権化こそが、幕藩体制の日本が近代化する上で最も重要な問題であったと考える。
 しかし、本当にそれを明治の元勲がみんな理解していたのか。
 作中で高杉が長州独立論を掲げていたように、薩長土肥にはリージョナリズムしかなかったんじゃなかろうか。現に薩摩藩は万国博覧会に薩摩を国名として登録し出展していた。
 明治政府が藩閥体制にも関わらずある程度の中央集権化を成し遂げたことは確かだが、彼らが戊辰戦争以前にそれを理解していたとは考えにくい。

 以上、今回は大変史実厨的にも面白い回であった。
 今後もこのクオリティが維持されることを切に願う。
「プロデューサー、卓袱料理食べたいです!そして僕のダンスを見て下さいよ、へへっ!」
 それ最高ね。
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