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2010-07-26

なんか考証が杜撰になりつつあるような。

03_ぶつかって07


 今週も『龍馬伝』は面白かったですな。
 一方で、どうしても一か所納得しかねるところ、これあり。
 何かと言うと高杉の上海観。
 上海で外国人が我が物顔で中国側は虐げられるのみであった、とのこと。
 確かに中国人労働者もいたが、実際には太平天国前後の世情の乱れから大量の流民が上海に来ており、外国資本と外国人のための都市インフラ整備で労働需要が生まれていて、虐げられている、と一言で言いきれるものではないだろう。
 また、労働者とは違った意味で外国人商人がキリキリ舞いさせられていたことも重要である。
 言葉の壁もさることながら、内地関税の処理が複雑であった中国では、外国人が取引する際には中国人仲買人、即ち買弁を雇用せねばならなかった。
 ところが、この買弁がみんな外国人にへいこらしているわけでもなく、莫大な中間マージンを要求したり、または列強の商社を保護していた近代的商法体系の恩恵に与ろうとして自分達が正規の社員であるかのような既成事実を作ったり、破産法を悪用するべく偽装倒産したりと、とんでもないのがたくさんいたのだ。
 以上から、租界が外国人の天国で、中国人が一方的に搾取されるのみ、と言う見方は一面的ではないか、と考える。
 高杉の上海観には、列強=アジアを搾取する外道、と言う先入観が強く影響しているのではなかろうか。そうした偏向過激派リージョナリストとしての高杉を描きたいのであれば、今回の描写は正しいと言えよう。
 しかし、その程度の見識の高杉とその一派だけを見て、長州は凄い、と言う竜馬は余りに浅はかではなかろうか。列強の先進性を理解していることが凄いと言うなら幕府の方がより正確に理解している。
 どうも、今回の高杉の言論を含む一連の流れには、ドラマ側が視聴者に対して「列強=悪」で「長州=凄い」と言うイメージを植え付けようとする意図を感じた。こう言うのは良くないと思う。
 良くないと言うか、そうした非実証的な議論で「大河」しないところが『龍馬伝』の良い所だと思うのだ。
 作中で竜馬が、理想だけではどうにもならん、みたいなことを言っていたが、あのリアリズム(フィクション作品であるか否かと言う意味に対してではなく)こそ『龍馬伝』が従来の「大河」と決定的に違う点ではなかろうか。
 これまでの「大河」は、愛だとか義だとか夢だとか、大切と言えば大切だが余りに中身を伴わない空虚な概念で主人公の行動を正当化してきた。たまにはそうでない「大河」があってもいいだろう。
 わしが『龍馬伝』に期待しているのは、そこである。
「ぱさぱさのかすていら、おいしそうでしたね・・・・・・」
 まこまこりん、今度一緒につくろうか。
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