FC2ブログ
2008-03-30

パックス・チャイナ崩壊の影響だと思う。

history200803.jpg



 このブログに引っ越す前から続けていた「毎月ブービー日は語りたいだけ歴史について語る」という習慣を、ここでも続けようと思います。


 引越し一発目のテーマは、チ○ット問題。
 今や政治・文化・モラル等多面的な議論が百出した感のあるこの問題。
 拙ブログでは、筆者が専攻する清末を中心に歴史的見地から考えてみたいと思います。あと念のため一部伏字。ティキンですまん。検索でその筋の人とか来たらやだなー、というアレな理由です。重ね々ねすまん。


 チ○ットは明代から中華帝国の冊封を受けていた。
 世界史選択の方には無用とは思うが、冊封について説明すると、すんげえ簡単に言ってしまえば「名目上だけうちの属国ってことにしてくんね?その代わり儲けさせてあげるから」という中華帝国側の要求をのむことである。
 いわゆる自治認定であるが、現代の我々が想像するそれとは完全に別物である点がミソである。
 冊封を受けた国家は、中華帝国の属国となる。
 実際にはその属国の度合に応じて諸国色々と区別もあるんだけど、ここでは割愛。
 あくまでチ○ットのケースに話題をしぼります。
 チ○ットの場合、あくまで名目上の属国であった。
 名目上の属国となることを受け入れる代わりに、朝貢貿易(詳しくはwikiでも引いてみて下さい)を通じて大量に儲けさせて貰う。ちなみに収支では中華帝国側のが明らかに赤字。
 この「面子を売って実利を得る」という関係を受け入れるのが、冊封なのである。
 そんな外交関係なんてありえますかいな、と近代的な国際関係に慣れきった我々は思ってしまう。
 でもありえたのである。
 こういう、領土とか国家主権とか、近代国民国家の大前提である概念無しで成り立っていた中華帝国を頂点とするゆるやかなピラミッド型国際秩序を、パックス・チャイナという。


 時代は明から清に入る。
 清朝時代、チ○ットはより独立性を強めた。
 どうしてかと言うと、清朝の皇帝は中華帝国の天子であるだけでなく、チ○ット仏教の最有力パトロンでもあったから。
 チ○ットは属国ではあったが、その地位は中華帝国により近づいたのである。
 ちなみに、当時の清朝がチ○ットをどのように見ていたのかを知るのに便利な史料があるらしい。
 これは先輩の話で真偽のほどは疑わしいのだが、なんでも清朝中期の地図では、チ○ットは中華帝国の領土として扱われておらず、完全に別の版図とされているそうだ。ウイ○ルも然り。
 今北京の第一歴史档案館に行っても、チ○ットが自国の領土ではないという論拠にるのが怖くて当該の地図は出してくれないらしい。ほんとか?
 それはともかく、かくしてチ○ットと中華帝国は、冊封というよく言えば「ゆるやか」な、わるく言えば「なあなあ」の主従関係の下、そこそこの平和を保っていたんだそうな。


 んが、この状態をぶち壊す事件が発生した。
 アヘン戦争である。
 アヘン戦争後の対英外交によって、清朝は強引に近代国家として扱われることになった。
 イギリス側としては、清朝という国家の領土はどっからどこまでなのか、チ○ットのような属国は植民地なのか、といった点を明確にしてもらわないと、領土利権を明示する条約文のつくりようがなかったのである。
 かくして、アヘン戦争を皮切りに、パックス・チャイナは崩壊をはじめた。


 ほんでもってなんやかんやあって共産党が中国大陸を統一した。
 このころまでに朝鮮やベトナムは、ヨーロッパと日本の侵略を経て近代国家となった。つまり、領土を画定し、国家主権を持ったのである。
 ところがどっこい、チ○ットはそうなれなかった。
 そうなれなかった点については、とてもこんなチンケなブログでは説明するのもおこがましいので、割愛する。
 では今から独立して近代国家になればいいじゃないか。
 そう、ここが現代の問題なのである。
 しかし、共産党は絶対にこれを許すわけにはいかない。
 何故なら、チ○ットの独立を認めたら台湾の独立も認めざるをえなくなるから。
 台湾の独立を認めることは、即ち共産党が最も忌避している「二つの中国」を認めることと同義である。
 もしもチ○ットの独立を認めて「希望があれば独立していいよ」なんて言ったらどえらいことになるのが中国なのである。
 よって、共産党がチ○ットの独立を認める可能性は絶望的と見てよいと考える。
 チ○ットの独立がチ○ット人の幸福と100%同義かどうかは、ぼくのような浅学の身ではどうとも断言出来ない。しかし、共産党の姿勢が彼ら曰く「封建的で悪い」清朝よりも民主的で進歩的だとは思い難い。


 というわけで、早い話がヨーロッパが大航海時代を通じてアジアにちょっかい出してこなければ、パックス・チャイナは外部からの攻撃によってではなく、よりスローな、変化の軋みが少ない形で自壊することが可能だったんじゃなかろうか、と思うのである。
 思ったって今更詮無いことではありますが。
 早い話がオレは清朝が好きなのであった。


 尚、以上の記述はあくまで筆者の独善的な極私論であることをお断りしておきます。
スポンサーサイト



theme : 歴史
genre : 学問・文化・芸術

comment

管理者にだけメッセージを送る

プロフィール

mino

Author:mino
 

最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
カテゴリー
最近のトラックバック
カウンター