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2010-11-20

伊予松山の地政学。

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 やっぱり『坂の上の雲』の出来はダンチですなあ。
 さて。
 再放送なのに一々『龍馬伝』感想同様のことをするのもあれなので、ここでは伊予松山が地政学的にどのようなものなのかを室町後期から見て行きたいと思う。
 俗に言う「戦国時代」だと、ここらは河野氏と言う相対的にマイナーな大名家の支配下にあった。
 瀬戸内海の要衝であり、また九州へも接続可能な土地として海運業が盛んであった。
 前近代の日本において海運が盛んと言うのはこれ即ち海賊業が盛んであるのとほぼニアリーイコールで、かの有名な村上水軍がとても欲しがった土地である。
 秀吉政権下では賤ヶ岳七本槍の一人である加藤嘉明の所領となる。ここに嘉明を詰めたのは九州に移した小早川と毛利の間を黒田とともに分断する策とも言われる。
 関ヶ原では東軍に属し伊予にて知行倍増。嘉明は同じ秀吉子飼い造反組でも清正や正則と比べると比較的勝組に分類されよう人物で、何故かと調べると親父が家康の譜代の家臣らしく益々そそられるものがあるのだが、とりあえずここでは割愛。
 その後は会津へ転封。代わりに蒲生家が入る。氏の孫である。と言うことは至極単純に考えると信長のひ孫となるが、さてどうなのだろう。深入りすると終わらない気がするのでこれも割愛。
 蒲生の統治期間は短く、次は松平家が入り、幕末に至る。
 こうして見ると、豊臣も徳川も、能力よりも信頼を重視して統治者を選んでいたように思える。土佐ほど統治が困難な土地柄でもないが重要な土地だったのだろう。秀吉が海賊行為(略奪はもちろんのこと事前にいくらか払えば逆に他の海賊から警護してやるとか言って銭をせしめたりすることも含む)を禁止してからは海運の保全も容易になっていったろうし。
 そこから明治日本の陸海の駿英が登場すると言うのも、色々と味わい深いものがありますな。
 それにしても、まこまこりんはこう言うやんちゃな格好が似合うなあ。
「ひっ、ひどいっ、プロデューサー!」
 いや、本気で褒めているのだが。
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