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2010-12-18

租界経営の難しさ

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 古いTRPG関連の仲間の忘年会のために録画していた『坂の上の雲』をようやく消化。
 途中から「もういいっ、それ以上苦しまないでくれっ!!」と柄にも無くだぶだふ泣いていた。
 感動したとは言え、あの辺について感想を述べるのであればもっと優れたブログが有るだろうから、ここでは相も変わらず史実厨的なそれを述べることにする。
 今回一番面白かったのは租界の話である。
 天津の日本租界はパッとしなかったと言う話だが、実は日本の租界全体がこの時点ではパッとせず、日露戦争後からようやく繁栄し始めるのだそうな。
 では、何で租界が栄えなかったのか。
 これを説明するには、そもそも租界の住人が、実は借方の国の人間ばかりが住むものではないことを理解する必要がある。
 租界と聞くと、そこに住んでいるのは借方の外国人ばかりでそこだけ外国のようなイメージを受ける。しかし実際には多くの現地人が住んでいた。これは清朝の場合でも例外ではない。
 じゃあどんな現地人が住むんだよ、と言うと、先ず買弁が住むのである。外国商社の現地仲買を請け負って儲ける人達のことである。
 買弁の他に、西洋の近代的な会社法に則って起業したい人達が住む。清朝では民・商法の整備が遅れており、有限株主制や破産法が整っており出資者のリスクを軽減出来る近代会社法は起業家にとってありがたいものだったのである。そして租界で会社を登記し、会社を租界の借方の国の籍とすることで、その恩恵を受けることが出来るのである。
 さて。では、どうして日本の租界が発展しなかったのか。
 作中の袁世凱がのたまわった「同じアジアの人間なのに裏切りやがって!」と言う理由から嫌われたのではなかろう。と言うか、あのテのアジアで一括りにして同情を誘うやり方はむしろ孫○がしばしば口にしたことで、袁世凱は勿論いわゆる保皇派や立憲派は余り主張していない。あの逆賊は日本に対して同じアジアでしょ、と同情を求めておいて満洲族を差別し漢民族至上主義を唱えるのである。全くけしからん。
 どうも今回の袁世凱の描き方は彼を小物にし過ぎていた気がする。原作の時代では袁世凱の再評価が難しかったから仕方が無いかも知れないが。
 閑話休題。日本の租界が何故発展しなかったのかと言うと、買弁になってもお得に思える企業が少なく、また会社法の適用がどこまで有効か解らなかったからだろう。
 日清戦争の賠償金で工業化が進んでいたが、未だ主たる輸出品は生糸であり、清朝にとって対日貿易が占めるシェアはそこまで大きくなく、当然イギリスのジャーディン&マセソンのような大企業と比べると見劣りする。
 また、会社法についても西洋列強と比べると信用に欠くものであったらしく、日本籍の清国人企業は多く無い。
 結果、現地人は日本の租界に住もうとはしなくなる。
 中国における租界の発展は、こうした現地人の居住希望による地価高騰が一因となっていた。しかしこれでは日本の租界の地価が高まるわけもなく、発展は困難だったと言える。
 さて、いよいよ日露開戦。
「ぷっ、プロデューサー、人間前向きに生きなきゃダメですね!ぐすっ、へへっ!!」
 そうだよなあ。本来楽観主義って、「頑張らなくてもなんとかなるさ」じゃなくて「頑張ればなんとかなる筈だ」と成功を信じる力だったと思うんだよ。まさに明治とはそう言う時代だったと感じますな。
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